集中内観 体験報告 NO.199

内観スタッフみなさま、そして第三者の方(内観ってなあに?な方、
また内観に行き詰まっている方のお役に立てればの思いで仕上げました。

長編になってしまいましたがお納め下さい。
今後とも宜しくお願い致します。。。

私は特別な人間ではありません。ごく普通の人間です。
目に見えない何かを感じたり見たり、素直で心がキレイなわけではありません。
むしろその反対な人間です。
嘘つきで、ひねくれで、傲慢で、臆病な人間です。
そんな自分にいいかげん嫌気がつのり、うんざりな毎日でした。
そんなある日この記述式内観に 、あふれんばかりに
たまりにたまった自分のごみをすべて吐き出して心底からサッパリとしたい
と思い内観を受ける決心をしました。

こんな自分に果たして内観が出来るか自信もなく、結果や答を切望すること
もなくただ、サッパリしたいが為でした。

自分以外の人間に対して内観をする考えはみじんもありませんでした。
もちろん、両親や他人に対してのごみが全くないわけではありませんでしたが
自分のごみに埋もれていたので、他のごみを観る余裕すらありませんでした。

ところが、初内観を受ける20日前に遠方に住む姉からメールが届きました。
内容は遠回しでしたが、どうやら病気で具合の悪い母が姉に八つ当たりをした
らしいのです。

そのことに対して、久しぶりに私は母に対して腹が立ち気分が悪くなりました。
そして、「これは、母に対して内観をしなさい」と言う事かもしれないとも感じ
ました。
このような過程で、急遽、母に対しての内観となったのです。

1回目
母に対してごみが無いわけではなかったのですが、いざ白紙に向かっても
何も書く事が出てきません。たいした事を思い出す事もできませんでした。
母を憎むと言う程の感情がありませんし、それなりに母の良さはわかって
いるつもりでしたから。とりあえず、先日私が母に対して怒った感情を
なんとなく書いていましたが途中からピンクの紙に ありがとうございます
と書いていたり。わけの分からない事をしていました。

そのうちに「わかってる?」と書いていました。面接官の方と何の事かと
話しをしました。
愚かなことに私は「内観をしている事」に対して酔っていたのです。

母はハッキリと物を言う人です。大人しい子供であった私や姉、また父親ですら
母に対して言い返す事が有り得ませんでした。我が儘なところもあったので、
家族は皆 母の言いなりで振り回されていた状態でした。
ですから、母のご機嫌を伺う様な姿勢がありました。
でも、私はこの母に対してはこれが当たり前な事で、やれやれと思いながらも
1年前まで一緒に暮らしてきたのです。
でも、面接官の方に「お母さんなのに、ご機嫌を伺うの?それってどうなのかな?」

と言われ、私も「そうだよ・・」と感じ、私の内観に火がついたのです。

先日の八つ当たりの件をはじめ、今まで母に対して我慢してきた事が次々と
思い出されてきました。紙に書く言葉使いも変わり、筆圧も変わったのです。
やっと書き出す感覚が掴めた所で初内観は終了の時間になってしまいました。

次の内観日まで2週間ありました。
すると、また今度は、直接母が私を激怒させる事が起こったのです。

2回目・3回目
もう、母に対する怒りをひたすら書き続けました。
最近の事も昔の事も、今までよく我慢をしてこれたものだと信じられない
くらい多くの怒りが噴き出してきました。
書く手が追いつかなくなり、文字ではなく速記のようでした。

4回目
怒りの書き出しも3日目になった午後、書く速度が落ちぺん習字状態に
なってしまいました。
これは疲れか?逃げか?と思い、しばらく書いていましたが、怒りも何の感情も
湧いてきませんでした。面接官の方が「感覚が麻痺したみたいですね」と、
ヒーリングをして下さって3日間連続の内観は終了となりました。
その時に「どうも、ごみは怒りだけではないようですよ」とおっしゃっていまし
たが私には他に何があるのか、皆目検討もつきませんでしたし、気付く自信もあ
りませんでした。

次回の内観までの2週間は、 の上半身はとても軽く感じたのですが、心の方
は複雑でした正月休みで久しぶりに会った母は別人の様に優しい人になっていた
のです。母に会ったら自分の心を観察しようと決めていたのに、拍子抜けでした。

次の内観の日が間近なのに、母に対してこれと言った感覚のない状態が続きまし
た。このまま書いても書いても尽きないのではないか、果たしてこれは終わるの
であろうか?

事実、書いていて終わりそうな感覚もなければ、どこへ行くのかの検討もつきま
せんでした。先が見えない内観。不安で不安でたまりませんでした。

母の内観が終わらなければ自分の内観が出来なくなると言う不本意さや焦燥感が
否めませんでした。「あんたは人の悪口も書けないのか?書きたくないのか?い
い人ぶるな!」
と言う声も沸いてきて、どうにもやるせない気持ちで落ち込む一方でした。
しかし、自分を内観したいと気持ちが傾くのも母の内観からの逃げであるとも
感じ「あきらめないで」と面接官の方に言われた言葉を信じて、
やれるだけやるしかないと自分に言い聞かせました。少しづつでもいい。
地道に手ですくって掘っていく内観でもいい。先に進み続けるしかない。

5回目・6回目
怒りの感情はもう出てきませんでした。私は子供の頃を思い出していました。
母は働いていた為、保育園でお迎えを待つ寂しさなどを書いていました。
一緒に住んでいた母の実母が亡くなり1人っ子であった母は精神的にまいってし
まいました。
母について病院を巡ったりした事、母が病弱になったことへの心細さも出てきま
した。具合が悪く寝ている母に、だいじょうぶ?何か食べたい?と話しかけてみ
ました。すると母が「わるいね、寝込んでて・・」と言ったのです。
子供に対して、謝ったりありがとうを言わない母が。

家族に対しては我が儘で言いたい放題なのに、心は人一倍繊細な私の母。
そんな母に私が到底適わない事。それは、母が帝王切開で私を出産した事でし
た。私が母を心から理解するには、その痛みを 験する事かもしれないとは
思っていましたがそうそう開腹をする機会などありません。
内観でその感覚とかも果たしてわかるのか?は疑問でした。

白紙にゴミを書くばかりが内観ではないと、面接官の方に教えていただき
さっそく大変な出産をしてくれたことへの感謝をピンクの紙に
「お腹を切って痛かったよね。ごめんね。ごめんね。。。」と書いていました。
すると、「…胎児であった私が、子宮の中で半回転すればよかったのだ!」と、
来たのです。


以前から私には胎児も1人の立派な人間であるという考えがありました。
お腹の中でも親や回りの人達の話はわかるし、お母さんにお願いされれば、
お父さんが帰って来るのをお腹を蹴って教えたり、逆子であったら出産日
までに頭を下に向けるよう自力で回転する事も出来る事があるのを書物で読み、
そんな胎児の能力を信じていましたから。

ですから、たとえ私が逆子であっても、自分で頭の向きを変える事は可能であっ
たはずなのです。
どうやら、私は自分の意志で逆子であった事がわかってしまったのです。

的にも精神的にも、腹部を切り開くのはダメージが大きい事です。
そして、母は胎児である私が逆子を選んだことを知りつつ、
それを許し、帝王切開に臨んだのではないかとも感じました。
そして、自分の母親を亡くして心細かったのはなによりも私の母の方だったと思
います。
精神的弱さと闘いながらも、子供を育てあげた母にはとうてい頭があがりませ
ん。母の無限大の愛を感じたのです。

こんな事もわからなかった自分が情けなく、
母に申し訳なくて申し訳なくて仕方がありませんでした。
面接官の方は「お母さんもきっと許してくれましたよ」とおっしゃって
下さいましたが私は自分の気が済みませんでした。

そんな私に、母が私の背中をそっと押して、こう言ったように感じました。
「母さんの内観をしてくれて、ありがとう。道草をさせてすまなかったね。
 さぁ、自分自身を許す旅(内観)へお行きなさい 」