|
|
先日の内観は、二日とも朝から行きたくないモードをなんとか
引きずっての参加。このからだをサポートしていただいた事に
本当に感謝しています。今回は、自分でも驚くほどネガティブ
な思いに散々 、折に触れ祈ってから用紙に向かうことを
繰り返していました。
一日目、最後の面接後、お腹の中と思われる私から「私はひとり
で生きていくんだ」「のぞまれていないんだ」「死にたい」「み
んなの期待は背負えない」と、凄まじい気持ちが溢れ出します。
二日目、面接で引き出された「うけとめて欲しい」という言葉と
向かい合うと、とても小さな弱い筆圧でしか紙に残せない。そし
て続けていくうちにどんどん小さくなって、突然「うまれてきて
ごめんなさい」ということばに変わりだし、やがて紙の上で暴れ
たり、号泣したり、訴えたり、責めたり・・どれだけ向かい合っ
たでしょう。そして、最後の面接後「姉ちゃん、わりいなぁ(悪
るいことしたなぁ)」と母の気持ちをピンクの紙に書出しました。
そんな苦しみのなかで不思議や新鮮な気付きがありました。「ご
めんなさい」ということばに向き合いながら、今までずーっと悪
い事(=いけない事)をした時に謝る言葉だと思ってきたのです
が、どうも罪悪感ばかりではなく、何かが違うようなのです。それ
から、「人には誰しも自分の時間があって、人と関わることで、相
手の時間をちょっと拝借しているのかもしれない」と湧きあがって
きました。
「いい事はおかげさま。悪いことはおかげ様で身から出た錆。」
そんな気持ちがしています。
今回のゴミを折に触れて思い返す度、昔の自分を思い出します。
乳幼児期の写真のほとんどに口をきゅっと結んでいる私。保育園の
頃から、友人に自分の意思を伝えられない場面があり、中学時代は
友達を作れず、何故か陰口の対象だった私。その後、友人を欲する
も、頑張りと受身でいる事でしか人と繋がれないので、長続きしな
い私。そんな私にとても繋がりを感じています。
相当な質のゴミ出し故の期待・・・に反し、嫌な夢に目覚め、出社
ギリギリまで寝床でゴロゴロ。背中に嫌な冷たさのある違和感が、
又、時に物凄い憎しみの感情や自分の存在否定すら引き出されたり・・・、
本当にいろいろぐちゃぐちゃしていましたが、ほんの少しゆとりが
生まれてきました。
そしてこの大変さを、今回は「ニコニコ、ありがとう」に支えられ
ています。そうそう何回か前の内観で「難が有るから有難う」と聴い
て目から鱗。その後ある雑誌で「・・・ありがたいというのは『在り
難い』。在ること事態が難しいのに、今確かにここに在る。・・・」
という記事に 、更なる鱗がボタボタボタ・・・。
今、敢えて『在り難うございます』と口やこころのなかで意識しています。
例えば苦手だなぁという仕事仲間と関わる時、自分が自然でいたいのに、
反して出てしまう「緊張」「頑張り」「よく見られたい」「比べてしまう」
そして最後は「自分を責めてしまう」(苦笑)瞬間の気付き等々・・。
そういう時に唱えていると、そんな状況さえも在り難く、その場を受け入れ
らる感じです。「在り難う」は本当に奥の深い言葉ですね。触れるにつけ、
今まで頭ばかりで突っ走ってこざるを得なかったことに複雑な感情と後悔も
しながら、そんな時代でも、支えられて生きてこれたことへ『在り難うござ
います』(涙)と、見方が変わっていく日々を過ごしています。
こころの温泉到達にあと僅か、そこにはとても重大な事実が隠されているよ
うな直感。なんだか謎を解いて行くようで、たのしみな一方拭いきれない懐
疑心や怖さに満たされています。次回もよろしくお願いいたします。
日々溢れ出す思いが、こんな場でないと素直には話せないので長くなりました
が、お読みくださって在り難うございました。