集中内観 体験報告 NO.218

一昨日、昨日とお世話になりました、○○でございます。
お陰様で帰り道から何だか嬉しくて仕方ありませんでした。
時間が経つ程に、心が軽やかになっていくようです。

昨夜、寝入りばなに習慣になっている深呼吸をしていましたら、
突然父母が意識の中に現れました。ニコニコ笑っています。
続いて、父に背負われていた姿や母に抱かれていた姿が浮かびました。
といっても、夢を見ている感じとも違っていて、
映像で見えながら実感もあるのです。たとえて言えば、読書していて
優れた描写に出会うと、描かれている情景や登場人物の心理が心に
ありありと実感できることがありますが、あれに似ているかもしれません。

いずれにしても、父母がこんなに身近に感じられたのは、
本当に幼年期以来のことでした。
私は大人の自分に戻って、逆に二人を抱きしめました。
温もりが伝わって来ます。
両親ともとても嬉しそうでした。
私もひどく嬉しくなって起き上がり、あんまり意味はありませんが、
家の中をそわそわ歩き回ってしまいました。

どうやら父の脚も良くなったようですし、母も出無精を克服して、
ガイドの方々と光の国へ旅立てるようです。
その国は遙か彼方でありながら、すぐ傍らでもある不思議な
場所にあることも―理屈は分かりませんが
こうして父母を再び身近に感じることが出来た今、
私は確かに知っていると断言できます。

私の場合、父母を巡って貴HPで紹介されているような強烈にネガティヴで
深刻な体験をしたわけでもなく、お恥ずかしいようなごく僅かな
蟠りに過ぎなかったので、内観を受けてもきっと劇的な効果はないだろう、
そもそもが内観を受ける程の悩みでもないのではないか、時間が解決してくれるのでは
ないかと思っていましたが、私には十分過ぎるほど劇的でした。

本当に不思議なのですが、内観中、父母について記述しながら
出てくる感情的な言葉には、私の感情そのものだと思って
これでもかとばかりに、ある意味魂を籠めて書いていたのに、
家に帰ってその同じ言葉をあらためて父母に当てはめてみても、
それらのすべての言葉から、籠めていたはずの魂も感情も跡形もなく
消え失せてしまっていました。

言葉だけが空回りしていて、ちょうど蝉の抜け殻がころがっているのを
見ているような気分になりました。
あまりの落差に驚いています。最後の面接時には、何となく心が軽くなったかな、
程度でしたが、やはり内観の場で心の中のゴミがすっかり綺麗に消滅していたのですね。
本当に有り難うございます。

いま精神世界的なことが流行しているそうで、識者の中には人生に対して単に
受け身でいることの口実になっているのではないかと危ぶむ向きもあるようです
(何日か前の日経に記事がありました)。

私も内観の後半、ここから先は自分ではどうしようもない、
この蟠りの核が消えるのか否か、後は天にお任せするしかないと
思うところがありましたが、それは何だか「単に受け身でいる」
こととも違うような気がしています。確かなことは、貴HPにも説かれている通り、

心のゴミ出しができると人生に対して極めて能動的になれるということです。

あらためて、本当に素晴らしい体験をさせて頂きまして、有り難うございます。
心から感謝申し上げます。
なお、今後は機会を見つけて弥勒気功のセミナーを受けさせて頂きたいと
思っておりますので、よろしくお願い申し上げます。

先ずは御礼まで、申し上げます。