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こんにちは、○○です。
先日の平日内観ではまたまたお世話になりました。
面接での宮尾さんの言葉がひとつひとつが呼び水となって、
今回もまた沢山のゴミ出しと、幾つかの気付きが訪れたような
気がします。
やっぱり今回の内観も思い切って参加して良かったです。
本当にいつもありがとうございます。
今回の自分の気付きの中でとても印象に残っているのが『失敗
は経験のひとつにすぎない』という事です。
『失敗は嫌』と書き続けてたところ、『でも失敗は自分の物に
なるまで繰り返す』→『自分の物って?』→『かけがえのない
物』→『かけがえのない物って?』→『人を許す心』と出てき
ました。
こうして文字にするとなんだか解りきってる事を書いているよ
うな気がしますが、私にとってはとても大きな気付きでした。
『経験する(←この中に失敗することも含まれる)』というの
が人生のテーマなのだと心の底から感じる事ができたんです。
なんというか、『失敗』という事柄の中には『悪い意味合い』
はまったく存在しないんです。だって人ってなぜ失敗するのか
というと、それは知らないから失敗するんであって、知らない
事を知る為に生きてるから全然悪くないんです。(補足ですが
『悪くない』というのは『反省をしない』というのではなく、
『反省』ももちろん『経験のひとつ』という事だと思うんです。
言葉って難しい!)
極端な言い方をすると『大好きな人からお花をもらった。嬉し
いな!』という体験と『お母さんの大切な花瓶を割っちゃった
。悲しいな…』という体験はただただ同じ『経験』にすぎない
というか…。
だからもしも失敗する事に怯えてる人(私もその一人)は失敗
を怖れる必要はまったくないんです。花瓶を割られたお母さん
も、ただその『花瓶を割られる経験』をしてるにすぎないはず
です。
私は小学生の頃から高校を卒業するくらいまで(もしかしたら
今も?)母から『あんたが私の珊瑚のネックレスを隠したんだ
!』と、ずっと疑われ続けていました。母は30年以上、ある
出来事がきっかけで、家族や自分に関わった人達をずっと疑い
続け、憎しみと悲しみでがちがちに固まっているような人です。
でも、母にとっても『誰かを信じられなくなる、疑う経験』を
してるにすぎないんです。多分。
母にとってはこの経験をすべて終了した時、(自分の物にした
時)もう二度と母は『人を疑う事』をしなくなるのではないか
な…と思うんです。
そして光へと近づくとてっても大きな一歩が待ってるのだと思
います。
苦しみが大きければ大きい程、かけがえのない、何物にも代え
られない一歩だと思います。
自分の気付きを上手く伝えられたら、何かのお役に立てるかも
…と思ってこうして書いてみたのですが、拙い文章のうえ、長
々と申し訳ありませんでした。ここまで読んで下さってありが
とうございます。
どうか皆様にも素晴らしい気付きが訪れます様に。
そして私も、これからもっとゴミ出しに励んで、何処かの誰か
に何かお返しができればいいなぁ〜と、頑張りすぎずに頑張っ
て行こうと思ってます。
それでは失礼致します。
ありがとうございました。