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NO.26 慈悲の瞑想

 アメリカでは大変なことが起こってしまいましたし、それがきっかけで、世界中が更に不安定な方向へ流れていってしまったような気がしないでもないですが、この場を借りて、犠牲になられてしまった方々のご冥福、または、お幸せを祈り申し上げます。

 直接、大惨事と関係するかどうか、分かりませんが、一人でも多くの方が、心穏やかになっていただくことにより、その良き波動が全世界へと広がってゆくと思われますので、慈悲の瞑想というものを紹介します。

 突然ですが、慈悲って、いったいなんでしょうか?
 どこかで、聞いたことのあるような言葉?
 慈悲深い人、というように使いますが、慈悲深い人って、どんな人?

 私も言葉の語源はわかりませんが、よく仏教の世界で使っているみたいですね。
 ブッタといえば、まず、慈悲深い人って、感じでしょうか?

 慈悲と、一般的な愛と、どこが違うのでしょうね?

 おもしろい、たとえ話があります。
 昔、ブッタの弟子に、モクレンという人がいました。
 このお弟子さんは、今で言う超能力の持ち主、神通力をもっていたそうです。
 彼には、第三の目が開いていたそうで、死んだ人が暮らすあの世の生活までが分かったそうです。

 あるとき、モクレンが、亡くなった母のことを思い、どうしているのだろう?
 と、千里眼を使って、母の姿を見たそうです。

 ナッ、何と、大切な母が、火炎地獄というところにいるではありませんか?
 熱くて、熱くて、堪らない感じ!

 のどがカラカラに乾いた母に、水をあげたいと思って、モクレンさんが水を差し出すと、一瞬のうちに、差し出した水が、ボーと燃え始めるそうです。

 食べ物を与えても、やはり、そうなってしまいそうです。

 見るに見かねたモクレンさんは、師匠であるブッタに相談しました。

「私に対して、とても優しい母だったあの人が、どうして、あのように苦しいところに居なければならないんですか」

 ブッタが云うには・・・
 「あなたのお母さんは、自分の子である「あなたにだけ」はとても優しかったけれど、しかし、他の子供さんには、何一つ、優しい言葉を掛けてあげるとか、親切にしてあげるとか・・・そのような事はなかったんじゃない!」

 一般的な愛と、慈悲との違いは・・・

 誰だって、自分の子供はかわいいですよ。
 でも、ブッタの目から見ると、この子は自分の子、そして、あの子は他人さまの子、なんて、区別なく、どの子も、我が子のように愛おしいそうです。

 慈悲について、學んだモクレンさんは、母に対しての供養の仕方を教えてもらい、そして、自らも慈悲の心を養ったそうです。

 慈悲の心って、その気になると養うことが可能なんですね~~~

 では、具体的にどうすればいいのでしょうか?

 慈悲の瞑想は、別名、3秒瞑想とも呼びます。
 時間がなくて、瞑想なんか! とても、とても、・・・
 という人には、打ってつけの瞑想かもしれません。

 もしかしたら、これから先、「時間がないから瞑想なんて・・・」と、言い訳ができなくなってしまって、困ったな~なんて、考えていらっしゃる方もいらっしゃるでしょうか?
 瞑想も、ただ、ダラダラとやっていると、集中力がなくなって、迷想(めいそう)になってしまうかもしれませんから、この短い一瞬の勝負にでるわけです。

 慈悲の瞑想は、4部構成されています。

(1)まず、はじめは、どなた様が対象でも結構ですから、自分の周りの人の幸せを瞬時に願う。

 例えば、町中を散歩していて苦しそうな人を見かけたら、
 「その方が幸せになりますように」と強く念じます。
 また、例えば、テレビを見ていて、辛そうな人がいたら、
 「その方が幸せになりますように」と強く念じます。

 もちろん、「私が幸せになりますように!」と自分の幸せを願うことも、
 また、「私の家族が皆、幸せになりますように!」と、家族の幸せを願うことも、
 また、「私の親しい人々が、皆、幸せになりますように!」と、知人の幸せを願うことも大切です。
 自分が幸せにならないと、他の人のことなんか、考えたくもないよ。ということになってしまいますからね~~

 夏頃、我が家の庭に、1匹の毛虫クンがいました。
 申し訳ないけど、彼を見ていても、あまり感触が良くないので、一枚の葉っぱの上に毛虫クンを乗せて、野原にもっていって、草の葉の上に、置いてきました。
 その毛虫クンに対しても
 「この毛虫クンが幸せになりますように」と念じました。

 また、ある時、散歩をしていたら、枯れた松の木を見つけました。
 その松に対しても、「この松が幸せになりますように」とやりました。
 その気になると、けっこう、対象はたくさんありますね。

 3秒瞑想とは言いながらも、実際、やってみると、3秒は掛からないかもしれません。

 このとき大切な事は、強く念じることです。
 頭にきたとき相手に向かって、「お前なんて、くたばってしまえ! バカ野郎!」
 なんて、感じでやりますよね。
 その時の「バカ野郎!」という想いには、充分すぎるくらいのエネルギーがありますよね。この感じが大切なんです。
 幸せにになりますように~~~ と、念を集中させるんです。

 実際に、お会いしてお伝えできるのでしたら、簡単にお伝え出来るんですが・・・
 下手な説明ですが、だいたいの要領は分かりましたか?

 余談ですが、念力の念って、今の心と書きますよね。
 念力が強くなる事って、いま、自分が思ったことが実現する確率が高くなるということでもあります。特別な超能力ではありません。

 病気を治したい! と思っても、なかなか病気が治らない! ということは、念の力がまだまだ弱いのかもしれませんね。

(2)その次ぎですが、自分を含めて、他人様の苦からの解放を念じます。

 「○○さんの悩み、苦しみが、消えますように!」
 「○○さんの悩み、苦しみが、癒されますように!」と、こんな感じです。

 もちろん、「私の悩み、苦しみが、すべて消えますように!」は、とても大切です。
 思いついたとき、一日に、何回、やってもやりすぎにはなりませんから・・・


(3)そして、3番目ですが・・・ 人の願い事がかなうように、と念じます。
   これは、本気でやると、けっこう苦行(?)になりますよ。

 たとえば、自分の愛する人が対象であったら、すんなりと出来ることでも、仮に、自分が嫌いな人の願い事が適うように、なんて、とても、念じる気にはならないと思いますよ。
 でも、好き嫌いなく、何でも食べて下さいよ。なんて、栄養指導では言われますが、慈悲の瞑想も同じなんです。むしろ、嫌いな人に対して真剣にやることによって、自分の内側に、変化が生じると思います。
 また、自分より、不幸そうに見える人に対してはできそうな気がしても、自分より、幸せそうな人の願い事がかないますように・・・なんて、とても、とても・・・

 「○○さんの願い事がかなえられますように!」 ですよ。


(4)最後は、気づきが起こるように・・・です。

 私は毎日、朝日を拝むのが日課となっていますが、いつも、太陽を見ている場所に、ある方も、毎日のように犬の散歩に訪れます。
 散歩をされるのは良いのですが、困ったことに、その方の場合、犬の糞を処理しません。
 犬が、ある場所に、ウンチをすると、そのまま、通り過ぎてしまうんです。

 ほぼ、毎日、ある場所に、その犬がやるんですよ。
 そして、それが、また、私が太陽を見ている場所からよく見えてしまうんですよ。

 はじめは、そのマナーの無さに、ムッとしましたよ。
 でも、ムッとしていたのでは、自分の心の中が怒りで一杯になってしまいますから、すぐさま、「あの方に、悟りの光が現れますように!」と、強く念じました。

 そうしたら、何とも不思議、自分の心の中の苛立ちが消えました。
 悟りの光なんて、なじみのない言葉ですが、要は、その方に気づきが起こりますように! という事なんですね。

 気づかないから、あのようなことが平気で出来てしまうんですが、気づくまで、仕方がないんだよな~~ という一種の赦しみたいな気分にもなれると思います。

  「○○に、悟りの光が現れますように!」

 この4つの瞑想は、他人さまの為にやっているようにも感じられるんですが、実は、本当は自分自身のエゴを少しでも和らげ、エゴから脱出するために行うブッタが考えた瞑想法だそうです。

 誰にでもある「エゴ」ですが、このエゴが強い人ほど、「自分のことしか、考えない」または、「自分のことしか考えられない」ということになってしまいます。
 誰でも、もっているエゴ(自我)ですから、別に恥じることではありませんが、しかし、このエゴが強すぎると、時には、自分自身の幸せの邪魔をするらしいですよ。

 この瞑想のこつは、嘘でもいいから、ただ、ただ、やることらしいです。
 心にもないことはできない! なんて言っていると、たぶん、生涯、そのような気分にはなれないようにも思いますしね。

 私の娘が、ピカピカの小学一年生になった時のことです。
 初めは楽しく通っていた学校ですが、夏休みの終わり頃から、通うのが嫌になってしまったようで・・・
 2学期なると、何日か、学校を休みました。

 いわゆる、登校拒否、いや、最近では不登校と言うのでしょうか?

 そうなんですよ。不登校になってしまったんです。理由ですか?

 クラスのある男の子がいじめるということで・・・
 デリケートな性格なので、気になってしまったんでしょうね。

 学校にゆくと、誰々ちゃんがいじめるから・・・

 私たち夫婦は、真剣に、慈悲の瞑想をやりましたよ。
 本来なら、あの子がいじめるから、私の子供が学校に行けなくなった! となったら、そのいじめっ子に対して、「あの野郎~~」と憎たらしくなってしまいますが、でも、それでは、解決しないだろうという気がしましたら、モノは試しというか、慈悲の瞑想って、そんなに効くものかな~~ という実験だと思って、そのいじめっ子の対して「彼が幸せになりますように!」と、何度も、何度も、念じてみました。

 そうしたら、徐々に、彼は、私の娘をいじめなくなりました。
 彼の心が穏やかになったそうですよ。

 ですので、娘は、また、楽しく学校に行けるようになったんですよ。
 ありがとうございます。でした。

 ある患者さんが、相談に来られたときに、そのことを話してあげました。
 その人は、職場で、同じように、いじめに合って辛いということでしたが・・・
 やっぱり、慈悲の瞑想をやってからは、いじめがあまり、気にならなくなったとか?