気功師が語る気の学校>慈悲の瞑想 Part.2

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NO.27 慈悲の瞑想ー2

 人は何を求めて、瞑想をするのでしょうか?
 健康をですか? 幸せをですか? 
 それとも、超能力ですか? 霊能力ですか? 潜在能力を引き出すためですか?
 それとも、心豊かになるためにですか? 宇宙の真理を悟るためにですか?

 求め続けたものは必ず結果が出てくると言われていますが
 ただ、求めるものの内容により、ときには、瞑想が人をダメにすることもあるようです。

 たとえば、チャクラの開発を目的とする瞑想があります。実際に、チャクラを開発することによって、通常では起こせないような超常現象を起こすことも可能になります。でも、そのようなものは、決して、求めない法がいいですよ。後々の反動が凄いです。

 一般的には持てないような能力を持つということは、一見、凄いことのようにも感じますが、それを求めている人の心の奥深くを観察してみると、そこには、自分だけは特別な存在になりたいという欲望みたいなものがあるかも?

 特別な能力など、何もなくても、ただ、生かされていることの有り難さを感じ、心穏やかに暮らせること。
 このことが、どんなにか、幸せであり、そして、自然な生き方であるのか、この辺の理解がとても大切なように思います。

 求めなくても、心穏やかになると、その人、その人なりの役割が自然に理解され、そして、その役割を遂行するに必要な能力なども、天から与えられてゆくそうですよ。求めなくても、能力や、チャンスが、自然とあちらからやってくるようですよ。

 私はこんなことが分かるまでに、何年も掛かってしまいました。
 振りかえれば、能力的なことをひたすら求めて、修行に励んだその反動が跳ね返って来て、大変な思いをしたこともありました。それは、それは、すごい衝撃でした。一時は、その反動で、体がボロボロになってしまったこともあります。

 先日、テレビを見ていたら、気功の特別.番組がありました。たぶん、御宝もいらっしゃるでしょうね。そこに登場する通称、気功師さんが、「雲を消す」と言って、一生懸命に雲が消えるように念じていましたが・・・
 一度目は消えたような、消えないような・・・
 二度目は、ちゃんと、消えたので成功だと言っていましたが・・・
 どうなのでしょうね?
 あれは、あれで、立派なカルマを作ってしまうだろうな~ となんて、思いながら見ていました。まして、念じる力が強ければ強いほど、作られるカルマも大きくなるわけですから、それはもう、大変なことになるわけですよ。

 本来、私たちの心は、
 「自分のことしか、考えない」
 「自分のことしか、考えられない」
 というような傾向に傾きやすい。これが心の性質みたいなものなので、長い間、そのまま心を野放しに放置していると、いざ、年をとってみると、「頑固な、へんつくな、強情な、お年寄り」になってしまうようです。
 本当は、年をとる毎に、心も豊かになってくれれば良いのですがね~~~

 「自分のことしか、考えない」
 「自分のことしか、考えられない」
 これって、一言で言ってしまうと、「エゴ」ですよね。

 ただ、このエゴが存在していると、本当の幸せには近づきにくいでしょうし、第一、ものが歪んで見えてしまいます。ですので、何度も、何度も、ハンマーで堅い石を叩き割るように、このエゴという厄介者の「頑固な石」を、叩き割ってゆく作業をしなければならないんですよ。それが慈悲の瞑想なんです。

 瞑想と言っても、どちらかと言うと、祈りに近い感じでしょうか?
 瞑想という言葉しか、浮かばないので、慈悲の瞑想と呼びましたが、もし、もっと、適切な名前があったら、皆さんのお好きなように銘々してください。別に名前はどうでもいいです。

 下記に紹介しましたが、内容を確認して頂きますと、人のために、祈っているような内容が多いのですが、実は、自分自身のために。ということらしいです。

 ですから、本当のことを言うと、慈悲の瞑想をやったからといって、相手が改善されようと、そうでなかろうと、そちらの方はどうでも良いということらしいです。
 まずは、自分自身の心が美しくなれること。ただ、それだけだそうです。

 不思議なんですよ。
 この瞑想を続けてゆきますと、その人自身の心から、穏やかな波動が出てくるようですよ。
 ふわ、ふわ、ふわ~~と、優しい波動が醸し出されてくるかも。
 ですので、その結果として、その人自身の周りに幸せなことがたくさんやってくるようになるということらしいですよ。

 たとえば、今現在、経済不況と騒がれ、「明日の我が身は・・・?」と心配な気持ちにもなりますが、でも、慈悲の瞑想をしていても、決して大金持ちにはなれないでしょうが、それなりに与えられるのではないのかな? と思えます。
 もちろん、周りの人間関係だって、雰囲気良くなるでしょうね。
 人相だって、微笑んだように、すてきになれるような気がしますよ。
 精神的に憂うつな人だって、心明るくなれるような気もしますよ。

 でも、もっともステキなことは、自分や、自分の家族以外の他の人の事も、自分のことのように考えられるようになれること!
 お釈迦様は、このことを「慈悲の心」と言っていたそうです。
 慈悲の心を持つことが出来た人は、一切の苦しみから、離れることができるらしいです。

 うん~~ 1日も早く、そうなりたいな~~~

 それでは、ブッタが世に伝えたという「慈悲の瞑想」について

 やり方(コツ)ですが・・
 ある人は、百人一首で、和歌を読み上げるように~~~
 格好良く、悠長に、声をだして、節を付けて読むと良いでしょうね。

 また、ある人は、お経を唱えるお坊さんのように

 また、ある人は、ただ、坦々と。

 試しに、百人一首で、和歌を読み上げるように、時計を見ながらやってみますと・・・
 なんと、
 私の場合、「私が幸せになりますように!」と、
 1行やるだけでも12秒も掛かりました。

 声の大きさですが、近くに誰もいなければ、少し大きめの声でやるのも一つです。
 もし、誰かが近くにいるときは、声を出さないでやっても結構です。

 回数が書いていないところは、各行1回ずつ、(3回)と書いてあるところは、3回、同じ内容を続けて行います。

 言葉はエネルギーそのものでもあり、言霊であります。
 言葉の波動に、自分自身の心の波長が同調します。
 つまり、自分自身が発した言霊によって、自らの心が洗われてゆきます。
 自分自身の心に響き渡るようにやってください。

 私が幸せになりますように!
 私の悩み苦しみが消えますように!
 私の願い事がかなえられますように!
 私に悟りの光があらわれますように!

 私が幸せになりますように!(3回)

 私の親しい人々が幸せになりますように!
 私の親しい人々の悩み苦しみが消えますように!
 私の親しい人々の願い事がかなえられますように!
 私の親しい人々に悟りの光があらわれますように!

 私の親しい人々が幸せになりますように!(3回)

 私の嫌いな人々が幸せになりますように!
 私の嫌いな人々の悩み苦しみが消えますように!
 私の嫌いな人々の願い事がかなえられますように!
 私の嫌いな人々に悟りの光があらわれますように!

 私の嫌いな人々が幸せになりますように!(3回)

 私を嫌っている人々が幸せになりますように!
 私を嫌っている人々の悩み苦しみが消えますように
 私を嫌っている人々の願い事がかなえられますように
 私を嫌っている人々に悟りの光があらわれますように!

 私を嫌っている人々が幸せになりますように!(3回)

 生きとし、生けるものが幸せになりますように!
 生きとし、生けるものの悩み苦しみが消えますように!
 生きとし、生けるものの願い事がかなえられますように!
 生きとし、生けるものに悟りの光があらわれますように!

 生きとし、生けるものが幸せになりますように!(3回)

解説、その1
悟りの光とは、気づきのことです。自分自身を含め、対象となる方へ、気づきが起きますように、と念じているわけです。

解説、その2
自分の嫌いな人、自分を嫌っている人に対しては・・・
これは、とても、苦行だと思います。
たぶん、慈悲の瞑想とは、反対の言葉を発したいくらいだと思います。
でも、嘘でも良いから、始めから、心がこもっていなくても良いから、やってゆきます。
相手はどうあれ、実際に、やってみますと、心は静かになってくるかも?

解説、その3
生きとし、生けるものとは、この地球上のすべての生き物のことです。
たとえば、大嫌いなゴキブリも、スリッパでピシャリとやってしまうのではなく、私と同じ生きる力を与えられた天の創造物の一つなんですから、むやみに殺してしまうのはやめましょう。

解説、その4
私の親しい人々とは、家族であったり、友人であったり・・・
追伸
た慈悲の瞑想のやり方ですが、和歌を詠むように、唱えるのはできない。という方は、無理に長くするひつようなないので、言葉を話すスピードでも結構ですよ。要は、慈悲の瞑想の言葉が自分自身の心に染み込んでくれば、それでいいそうです。