気功師が語る-好転反応とは何か-代替療法の反応

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NO.31 好転反応

その世界で、今現在活躍されている一流といわれる専門家の誰からも評価されている歴史に残る名作(芸術作品)といわれるものは、一般に評価されている作品と何が違うんだろう?

たとえば、画家の誰もが認めているピカソの絵と、街の絵画展で金賞をとった絵と、何がちがうのだろう。 どのような理由から、ピカソの絵は傑作だと誰からも評価されるのだろう?

正直に申し上げ、絵画の世界において素人の私が、もし仮に、それがピカソの絵だとは知らずに、ピカソの絵の前に立たされたとしたら、専門家が絶唱しているように、本当にそこから、ものすごい感動を味わえるものなのだろうか?

誰もが評価するあのピカソの絵だということをすでに知っているから、本当は、何がなんだかよく分からないな~~ と思っていても、その気になってしまうという一面はないのだろうか?

歴史の中で、これぞ「名作」と評価されている作品は、他の作品と、いったい何が違うのだろうか?

また、そのような作品は、その世界で一流と称される専門家の誰からも例外なく評価されているが、そう評価している一流の専門家達は、その作品から何を感じとっているのだろうか?

確か15~16才位の頃だったと思いますが、このようなことに対して、非常に興味を感じました。それで、そのようなことが書かれている本を手当たり次第に読んだ記憶があります。

その本の中では、弘法大師(空海)の「書」の世界について語られていました。
そこには2枚の写真が列べてあり、一方は弘法大師が書かれたという「書」、そして、もう一方は、現代の一流書家と称される書家が、弘法大師の文字を真似て書いたという「書」でした。

その二つを見比べて、どちらが弘法大師の「書」なのか、当ててみなさい。ということを、現代の書家さん達、数名(?)に対して行ったそうです。

私が見たのは、あくまで本に掲載された写真ですから、実物を見たわけではないので、何とも言えませんが、本の写真から見る限り、どちらも同じような感じなのです。

もし仮に、実際に、2人の書の前に立たされたとしても、どちらが弘法大師の書なのか、私のような素人さんには分からないだろうな~~~ と思いましたよ。

だいいち、真似て書いたという書家さんだって、現代においては超一流といわれる書家であり、その世界においては、名のある人のようです。

しかし、実験の結果、一流の書家と称される人達の間からは、口を揃えて、こちらが弘法大師の書だと指し示したそうです。

弘法大師の書を真似たという書家も、世の中では書道の大家としての名声を得ている方なので、弘法大師の癖なども良く見抜き、その真似る技は超一流とのことでした。

でも、それにも関わらず、こちらが弘法大師の書だと言い当てたのですから、書を志してきた書家だけには、確実に分かる、何かがあるんですね。

そこには、一体、何が隠れ潜んでいるのだろうか?
たぶん、そこから醸し出されている雰囲気(エネルギー)が違うのだろうか?
一流の専門家と言われる人達は、それを感じとっていたのだろうか?

その本の企画では、一流といわれる人達の誰もが認める主観的な世界に対して、客観的な観点から、その謎について迫ってみようという試みのようでした。

そこで用意されたものが電子顕微鏡。その電子顕微鏡を使って、弘法大師の「書」と、現代の一流といわれる書家が弘法大師の真似て書いた「書」とを、見比べてみようというものでした。

次のページには、電子顕微鏡で撮した2枚の写真がありました。
一枚の写真は、炭の分子が規則正しく、整然と並んでいました。
ああ~~ これは確かにすごい!

しかし、もう一方の写真は、炭の分子がバラバラで、規則性はあまり感じませんでした。
なるほどな~~~

このあとは、もう、下手な私の説明は必要ないと思いますから省略しますが、何をお伝えしたいのか、想像にお任せします。

この本に出会って感動したのも、今から30年近くも昔の事なので、残念ながら、本の名前を忘れてしまいました。

また、その本が何処かへ消えてしまい、もう二度とお目にかかれることはできなくなってしまったので、淡い記憶をたよりに、本日、概要だけをご紹介しましたが、確か、このようなことがその本の中には書かれていたようにと記憶しています。

その本の中での弘法大師の書の評価、今流に言えば、まさに、波動(気)の世界に関わることを言いたかったんでしょうね。

確か、波動という言葉は使われていなかったようにと思います。

波動って、最近の流行語の一つなんでしょうかね~~?

弘法大師の書に似せて書いたとしても、書かれたご本人の波動が違うので、その違いが顕著に出てしまったということですね。

炭の分子にまで、本人の波動が影響を及ぼしてしまうとはね~~ 
これにはビックリでしたね。
波動の世界は、誤魔化しようがないということなのでしょうね。

実は、気を扱うヒーリング(治療)の世界も、これとまったく同じことが言えるようです。
例えば、あるセミナーに参加して、「施術者の心構えとして、患者さんのことを慈しみ、自らの意識を大いなる意識へとチューニングし、私と宇宙とが一体になっていることを念じ、あくまでも私は宇宙と患者さんの架け橋であると自覚していれば、宇宙エネルギーが私を通じて相手に伝わり、そして、相手を癒してゆくのです」・・・なんて、素晴らしいヒーリング理論を教えられ、「お力なるもの」を伝授され、そして、宇宙エネルギーのルートなるものを開いてもらい、・・・と、ヒーリングに必要とされる一切の小道具を授けられたとしても・・・・

ガックリさせてご免なさい。
しかし、その人は、その人自身に何ら変わりなく・・・
期待はずれで残念ですが、思うように、そう簡単には事が運ばないのが波動の世界。
施術者本人のそのまま全部が、波動として相手に伝わってしまうようです。

つまり、如何なるテクニックやヒーリングパワー(お力)を伝授されたとしても、それを行う当人の内面が整っていないと、弘法大師の「書」のように、周りに対して、真に良き影響を与えることはできないということになります。
厳しいですが、波動の世界では、一切のごまかしは効かないようです。

ですので、仮に、どこかのヒーリングセミナーに参加されて、さまざまなヒーリングテクニックなるものを習ったとしても、指導者が、「それであなたも今日からヒーリングが出来るようになりましたよ!」なんて言われても、甘いささやきには乗らないで、醒めた気持ちで、謙虚に、自分自身の内面を整え続ける必要があるようにと思います。

現代は何でも即席の時代。ラーメンだって、3分間待っていれば食べられる。
だったら、癒しの行為(ヒーリング)だって、あるセミナーに参加するだけで、それが可能になる。即席の時代だからね~~ とは、うまい具合に事が運ばないのが、癒しの世界。

たとえ施術者が気を扱うことを意識していない別のテクニック、例えば、鍼灸であっても、指圧であっても、マッサージであっても、カイロプラクティックであっても、整体であっても、・・・であっても、その他、諸々のヒーリングテクニックであっても、その視点から外れることはありません。

施術するときの技の切れ味も、もちろん大切な要因ではありますが、それ以上に重要なことは、施術者から醸し出されている雰囲気(波動)です。弘法大師のように内面が整っていると、その彼から醸し出される波動(エネルギー)は、原子、分子という小さな世界にまで影響を与えてゆくようです。もちろん、肉体細胞の一つ一つに対しても。

もし仮に、弘法大師がヒーラーだったとしたら、ちょっと過激な発言で恐縮ですが、彼がある患者さんを無造作に足で蹴飛ばしたとしても、その患者さんの病気は治ってしまうのでは? なんて、私個人はそう思っています。

弘法大師のように尊いお方が、病気で病んでいる人を足で蹴飛ばすなんて行為は、まず、されませんが。

イエス、キリストの袖に触れただけで、病気が治ってしまったという話を聞いたこともありますしね。

逆に、まだ未熟な施術者が、ある患者さんに対して、真心を込めて、一生懸命に、汗だくとなって施術したとしても・・・ もちろん、良き結果を生み出すことがあるかもしれませんが、ときには、良からぬ結果が出てしまうということもあるようですよ。

その人から醸し出される雰囲気、いわゆる波動とは、その人自身の潜在意識そのものだからです。

表上の意識で、「どんなに、その患者さんの為に・・・」と思って、一生懸命にヒーリング行為を施したとしても、その施術者の潜在意識の領域に、?マークの波動が存在していると、ヒーリングを受けた患者さんには、? を与えてしまうことにもなります。

もちろん、施術者の顕在意識では、「何とか、その人を楽にしてあげたい!」と願って施術を始めるのでしょうが、しかし、施術者の潜在意識レベルから発せられる波動の影響によって、結果が逆に・・・と、いうこともあるようです。

たいへん、失礼なことを申し上げていると感じていますが、これがヒーリングといわれる世界の現実でもあります。

正直なところ、私もこれにはたいへん苦心しました。自分の意識(顕在意識の思い)では、「相手の人が楽になれるように・・・」と思って、一生懸命にその場に臨んでも、結果が逆になってしまうことが多々ありましたよ。

今から10年程前に、そのような状況に自ら気づき、先程紹介しました本の内容等を思い出し、弘法大師を見習わなければ・・・と思い、もしも、本当に人様に喜んで頂ける「癒し」を提供したいのであれば、まず、自らの内から整えてゆかないとダメだな~~と考え、それ以降は、ただ、ひたすら、自らを癒すために没頭しました。今もその気持ちには変わりありませんが、人生、紆余曲折、昔を振り返ってみると懐かしいですね~~

つい、先日のこと、県内のある方が、私のところへ相談に来ました。
都心の、ある有名な気功の先生から外気功をしてもらったら、その後、めまいや吐き気など、身体の調子が良くなくて、どうにも我慢ができないから・・・というご相談でした。

その先生曰く、「それは好転反応だから問題はないですよ。数日すれば、良くなるから・・・」ということらしいでしたが、数日、経っても良くなる気配はないとのこと。

実際に、その方の身体を診せてもらい、超ビックリ!
ワァ~~~ 身体のあちこちに・・ ? マークが一杯でした。

外気功の場合、患者さんに良い気を送り込むためには、まず最初に、患部に絡まっている悪い気(邪気)を処理しなければなりません。邪気を処理するには、まず、邪気が出てゆくための逃げ道(換気口)を作ってからでないと、いきなり患部に対して、良い気を送り込んでも、邪気の行き場がなくなり、身体の中で、逃げ場を失った邪気が燦爛するために、身体に混乱が生じます。

たいていの場合、邪気は身体の上から下へと下降し、足裏、足先から、体外へ排泄されてゆきますが、下水道(気の流れ道)がしっかりしていないのに、水道が利用できるからといって、勝手放題に水を使っていると、使い古した水が、家の中に溢れてしまうのとよく似ています。

いろいろとお話を聞くと、治療代金も超お高いとか? ・・・ 
彼女のことが、とても、お気の毒に感じてしまったので、「今のあなたの状況は好転反応などではないと思いますよ」と、感じたことをそのままお伝えし、彼女の身体に邪気の逃げ場を作ってあげたら、頭がフラフラするという現象も消えて、ご本人様は、「ああ、嘘のように楽になった!」と喜んで帰ってゆかれました。

せっかく気功治療を受けてきたというのに。トホホ・・・ですね。

本物の好転反応の場合ですと、辛いから楽にしてくださいよ。と、頼まれても、その方のように、たった一瞬にうちに楽なるというようなことはありません。

言いにくいことではありますが、我々治療家といわれる方達の意識の逃げ場として、「好転反応」という言葉があるということも事実のようです。

誤解のないようにお伝えさせて頂きますが、逃げ場と言っても、施術者の無意識的な逃げ場ですから、意図的に患者さんに対して、嘘を言って誤魔化しているという意味合いではありません。

施術者が自らの施術の結果に対して、「好転反応だ」と判断することにより、施術者は、立場上、楽になれるわけです。まさか、施術をミスったとも考えたくはないでしょうし。

それが本物の好転反応なのか、それとも別の事なのか、我々治療家といわれている者としては、それを謙虚に見極める必要があります。

何でもかんでも、好転反応と言ってしまえば済むということでもなさそうです。
だいいち、施術を受けた患者さんにとっては、いい迷惑になりますしね。

施術をしました。しかし、患者さんの、その後の様子が良くありません。
この場合、多くの施術者は、「それは好転反応ですよ!」と、軽く言ってしまうかもしれません。

しかし、今までの私の経験からすると、世間一般で好転反応と置き換えられている状況のうちの何割かは、確実に、好転反応とは違う、別の現象であるようにと実感しています。

なぜ、このようなことが言えるのかというと、先程の方のように、仮に、好転反応で困っているという方からご相談を受けた場合に、実は、その方の状況が好転反応ではなかったと判断した場合は、その場で、即座に楽な方向へと導くことができ、「残念ながら、それは好転反応ではなかったみたいですね」と相手の方に納得してもらえるからです。
今まで、このような方々と、たくさんの御縁を頂き、自らの体験からそう結論を深めました。(もしかして、単なる私自身の妄想であったらご免なさい)

もし仮に、その方の、今、症状として現れているその苦痛が、仮に、本物の好転反応だとしたら、第三者が如何なるケアーを試みたとしても、先日お越しいただいた女性のように短時間のうちに楽な方向へと変化することは、まず、あり得ません。

なぜなら、真の好転反応とは、自らの身体がより高い健康レベルになろうとして、自ら起こしている現象なので、誰一人として、そのプロセスを止めることなどできないからです。

なぜ、好転反応ではないのに、好転反応(一時悪化現象)らしき状況が起こるのでしょうか?

 (1)施術者の潜在意識レベルから発せられる波動の影響
 (2)刺激が強すぎた為に、身体が混乱
 (3)本人の自然治癒力を無視した刺激の影響
 (4)その他、諸々の原因により

(1)に対しては、本日の文章全体から、何となくイメージを感じとって頂ければ幸いです。

(2)については簡単にご説明させて頂きますと、元々、体質的に身体が弱い人と強い人がいます。いわゆる、根本の体質といわれるものです。

体質が強い人は、強い刺激にも耐えられますが、仮に、体質が弱い人に、いきなり強い刺激が加わると、たとえ、それが良い刺激であっても、当人の身体は一時的に拒絶反応のような状況になります。

胃腸の弱い人に、一度にたくさん食べてもらうと、どんなに栄養一杯の料理であっても、下痢をしてしまうのと同じです。

このような状況は、施術者が、最初の段階から大きな改善を期待するあまり、施術をやりすぎてしまうということから起こる現象です。あるとき、あるセミナーで知り会ったあるカイロプラクティックの先生は、「ギックリ腰なんて簡単なものだよ。どんなギックリ腰だって一発で治せるよ」と自信満々でしたが、治せる技術を実際に持っているということは評価に値しますが、その考え方そのものは、とっても危険だな~~ と思いました。

たとえ、1回の施術でギックリ腰が改善できる実力をお持ちだとしても、なかには、何回かに分けて施術を受け、ゆっくりと改善された方が身体が楽だという人もいらっしゃいます。早急に改善されてしまうか、それとも、ゆっくりと改善された方が良いのかは、本人の身体が決めてゆくこと。施術者が勝手に、予定してしまうようなことではありません。

(3)についてですが、仮に、ある整体治療院へ伺ったとします。整体の先生の見解としては、あなたの場合、背骨が曲がっているからそれを治せば体調も良くなるよ。と言われて、早速、施術を受けたとします。

身体の歪みを治せば、身体が健康になる。実に、理に適っている理論。しかし、そこには大きな落とし穴があります。

我々第三者(施術者)からみて、患者さんの身体の歪みが感じられたとしても、患者さん本人にしてみれば、このアンバランスな状態を維持することで、全体のバランスをとっているということもあるようです。

仮に、呼吸器系の弱い人は、猫背になりやすい傾向があるようですが、その姿勢をとることで自らの呼吸器系の弱さをカバーしているわけですが、呼吸器系を強くすることなく、姿勢だけを改善された場合には、 明らかに ? の結果です。

安易に、姿勢が歪んでいるからということで、それを正せば良い。ということにはなりません。

アンバランスを起こしている原因そのものを取り去ることで、身体は自然に良い方向へと向かいますが、原因そのもの取り去ることなく、見た目だけを意識した施術(処置)を行うと、身体全体からすると、自然治癒力の働きにくい、アンバランスな状態になってしまうこともあるようです。

ここら辺を勘違いすると、背骨が曲がった患者さんを診た場合、この方のこの部分を真っ直ぐにしてあげれば症状全体が良くなるだろうと、本人の身体の言い分を聞かずに、施術者の独断で勝手に施術をしてしまうと、仮に、見た目は姿勢が真っ直ぐになったとしても、実は、一見、アンバランスながらも本人の中では見事にバランスをとっていたそのバランス感覚(自然治癒力)が崩れてしまうようです。

つまり、自然治癒力が働きにくい状況へと身体は追い込まれてしまうようです。
このように、患者さんの自然治癒力を無視した施術は、害こそあっても利はありません。このような施術を受けた後、身体は一時的に具合が悪くなります。これは、好転反応とは別物です。

・・・などなど、細かく拾い上げれば、いろいろとあるようですが、本日は、この辺で。

このようなことをご紹介すると、今現在、何かしらの代替療法をお受けの方は「私の今の状況はどうなのだろう?」と疑問を持たれる方もいらっしゃるかと思われます。それが好転反応によるものなのか、それとも別のことなのか、知りたくなるでしょうが、ただ、それを素人さんが見分けるのは、なかなか難しいことかもしれません。

しかし、一つだけ良い方法があります。

毎度、お馴染みの気づきの瞑想で恐縮ですが、この場合には、お腹のへこみ、ふくらみに意識をもってゆくのではなくて、今現在、身体に現れている現象をじっと感じ続けて頂くと、ある時、あるタイミングで、フッと、閃きがやってくるかと思います。耳を澄ませていると、身体が「それ」を教えてくれるでしょう。

仮に、ある方の施術を受けてから、どうも、頭が痛いような・・・ という場合には、その頭の痛さを、ただ、ただ、感じ続けていると宜しいようですよ。

(1)施術者の潜在意識レベルから発せられる波動の影響について、一点だけ、お伝えさせて頂きますと、患者さんの波動より、粗雑な波動を有している施術者は、その患者さんを癒せない。という癒しの原則のようなものがあるらしいです。技云々は、二の次ということらしいです。(身体の苦痛はある程度、取り去ることは可能ですが)

ある方の波動が精妙であるとか、または、逆に粗雑であるとか、見た目ではまったく判断つきません。
もちろん、病気の方でも、とっても波動が精妙である方もいらっしゃいます。
また、逆に、健康体の方でも・・・の方も、いらっしゃいます。

あの治療院では、多くの患者さんの病気が治ってゆくみたい。
だから、私も通っているのに、私はまったく良くならないのよね~~~
逆に、あの治療院へ通い始めてから身体の調子がイマイチで、もしかして、日頃の行いが悪いのかな~~ なんてね。

いえいえ、あの先生よりも、あなたの方が波動が精妙なんですよ。という事も、よくあることですから、仮に、他の皆さんが良くなったとしても、でも、自分だけがまったく・・・ という場合でも、自らを卑下するには及びませんよ。

波長が合う、合わないということもありますから、そこがダメなら、他へ行ったら宜しいようにと思います。どこかで自分を満たしてくれる治療家と出会えるように思います。

だいぶ長くなりましたので、そろそろこの辺で失礼しますが、以前にも同じ様なことをお伝えしましたが、最後に、弘法大師に近づく道をお伝えさせて頂きます。

将来、癒しに関わるお仕事を人様に施してみたいと思われる方には、毎朝、早く起きて、太陽さんからのエネルギー(朝日のエネルギー)を受けることをお勧めします。もちろん、治療行為などには興味もないよ。という方でも、弘法大師の「書」のように、どの世界にも通じることですから、このようなことに興味がありましたら、自らの波動向上のために、ぜひ実践されてみて下さい。

仮に、料理を志している方でしたら、素材の人参、タマネギ、豚肉の分子レベルまで、整然と整ったおいしい「肉ジャガ」ができるかもしれませんし、仮に、文章を書くことを志している方でしたら、人々の心に安らぎを与えられるような、すてきな波動の文章が書けるようになるかもしれませんし・・・