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気の学校とは、癒しクリエーションが発信する気&波動情報!
ユーモアたっぷり。素人さんでも読みやすい。軽いのりです。
どうぞ、気楽に読んでくださいね!

NO.26 慈悲の瞑想
NO.27 慈悲の瞑想,2
NO.28 気づきの瞑想
NO.29 病気の原因
NO.30 感覚敏感

NO.31 好転反応
NO.32 チョコレート
NO.33 冬菊
NO.34 集中力
NO.35 残存エネルギー

NO.36 エゴ とは
NO.37 意のエネルギー
NO.38 ブッタ効果
NO.39 懺悔
NO.40 厄払い

NO.41 愛のエネルギー
NO.42 愛のエネルギー2
NO.43 智のエネルギー
NO.44 ひびき
NO.45 些細なこと

NO.46 霊的遺伝子
NO.47 結界
NO.48 中心
NO.49 無駄な努力
NO.50 チベット医学
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NO.1〜 NO.25
NO.26〜 NO.50
NO.51〜 NO.75
NO.76〜 NO.100


NO.36 エゴとは

 このところ、気づきの瞑想と慈悲の瞑想が話題としてとり上げられていますが、何で、そんなにも、この瞑想がお薦めなのか? 今日は、その辺を少しばかり。

 以前、あるテレビを見ていたら、興味深い場面が放送されました。クニャ、クニャと蛇行した山道(舗装道路)を何キロにも及び、ただ、ひたすらレースのように走りまくるのがローリング族。
 群馬では、赤城山の山中で盛んに行われているそうで、土日の夜ともなると、どこからともなくやってきた若者達で賑わっているとか!?

 それに対して、市街地で、400メートルという直線コースを決めて、スタートダッシュの早さを競うのが、ゼロ4族と呼ぶらしいです。

 4車線道路の片側、2車線を使って、インコーナー、アウトコーナーと、2台の車が横に一列に並んで、「用意、スタート」と、合図に従って、一気にアクセルを踏み込み、加速ダッシュを行って、スタートの優劣を競うらしいです。

 ゼロ4族が集まるレース場(一般道路)は、一般の人達が利用する主要道路でもあり、それだけのことを考えても、他の車の迷惑にもなります。

 おまけに、彼らのレースが始まるのが、ほとんど夜中ということもあり、近所には、団地があったり、住宅地があったりと、まわりに住んでいる住人達は、ほとんど、うるさくて、夜もゆっくりとは休めないと、苦情を漏らしていました。

 はた迷惑の極みですが、たまたまテレビでは、ゼロ4族のある若者がインタビューに応じていました。

 アナウンサーが、
「こんな夜中に、爆音をたてて暴走していたのでは、まわりの人に迷惑となるとは思いませんか?」と尋ねると、その少年は、
「いや、別に、そんなこと、考えたことないよ!」と、答えました。

 そこで、アナウンサーが、
 「もし、仮に、あなたの家の近くで、このようなレースが毎晩、行われていて、そして、あなたが寝ているときに、ブンブンと、爆音がうるさかったら、あなたは、どう思うの?」と尋ねると、

 「そりゃ〜〜 うるせえし、冗談じゃねえよ。」と答えが。

 そこでアナウンサーが
 「だったら、あなた方が、この場で、そうやっていることで、このまわりに住んでいる人達は、迷惑するんじゃないの?」と尋ねると、
 「そんなの関係ないよ! だれが迷惑しようと、自分たちが楽しんだから・・・」

 いや〜〜 これには、さすがの俺も、超ビックリ!

 迷惑だ! と知らないでやっているのかと思っていたら、ちゃんと、迷惑になるということは分かっているんですよね〜

 でも、人が迷惑しようと、自分が楽しければ、そんなことはどうでもいい! という発想らしいです。

 なんで、こんな精神状態になってしまったのだろうか? と考えてみました。

 人の心は、基本的には、3つの動きをします。
 まず、「好き、好き、好き」という反応ですよね。

 自分にとって、都合の良い刺激がやってくると、「それは好きだな〜〜」とか、「心地よいな〜〜」とか、快、不快で言えば、快に相当するものですよね。
 「好き、好き、好き、好き、・・・」

 これに対して、嫌い。という反応もあります。
 「いや、いや、いや、いや・・・」
 自分にとって、心地よくないものがやってくると、「嫌だ!」という反応が起きて、拒否します。快、不快で言えば、不快に相当するものです。

 人の心の反応は、大きく分けると、好きか、嫌いか、このどちらかです。
 あの人、好きだよ。 この人、嫌いだよ。
 この仕事、好きだよ。あれは、嫌いだよ。

 でも、良く観察してみると、好き、嫌いの他に、もう一つあります。
 好きでも、嫌いでもない。どっちでもいいかな〜 という「無関心」な心です。

 アイスクリーム好きですか? と尋ねられ、好きだと思う人もいれば、嫌いだと思う人もいれば、「別に、どちらとも言えないな〜」という人もいれば!

 この「無関心さ」に、心全体が覆われてしまうと、好奇心がなくなったり、閉じこもり気味になりますから、無関心さに陥らない為の工夫は必要かもしれません。何を見ても、何を聞いても、興味ないです。と好き嫌いの反応がなくなってしまうのですから。過度になるとちょっとヤバイかも! この「無関心さ」については、また、後日、機会があればお話しさせて頂きますが、本日のメインテーマではないので先に進みます。

 怒りの感情って、どのような状態のときに起こるのかを考えてみますと、
 怒りは、「いや、いや、いや」の部類に属するものです。
 自分にとって、嫌いなものが、いつまでもそこにある。
 だから、それに対して、怒りの感情が起こるのです。

 では、「好き、好き、好き」という感情を持つと、どうなるのでしょうか。基本的に、「好き」という心の動きそのものは、別に問題があるわけではありません。もちろん、「嫌い」という心の動き自体にも問題があるわけではありません。

 たとえば、青空を見ていて、青空って好きだな〜〜 と感じていても、「今、自分は、悪いことをしているな〜〜」なんて、思う人いないでしょうし・・・
 好きなものに対して、好きなことに対して、ただ、好き! 好き! 好き! とだけ感じているのならいいのですが。

 でも、もしもですよ。もし仮に、私の目の前に、自分の好みのタイプのきれいな女性が現れたら、ポ〜〜 としてしまい、
 「ああ、ステキな女の人だな〜〜」
 「ああ、ちょっと、お話ししてみたいな〜〜」とか、更に思いがエスカレートしたら・・・

 いや、いや、いや〜〜 我が家の山の神(妻)もこのページを見ていることでもありますから、これ以上は、・・・

 「好き」という感情を持つこと自体は、それはそれで良いのです。
 ただ、「それが、好きだ!」と感じた次の瞬間には、
 「それが欲しい!」 とか、
 「それが、どうしてもしたい!」とか

 心は、ただ、好きという状態に在るだけでは止まらず、好きという感情が次第に膨れ上がり、そのものを所有したくなったり、そのものをしてしまいたくなってしまったりするようです。つまり、欲望が芽生えるというわけです。

 美しい花を見たときに、その花が好きだ! と感じているのと、更に心が動いて、「好きだから、その花が欲しい」という衝動に繋がってしまうのとでは、大きな違いがあるようです。

 自分自身の心を良〜〜く、観察していただくと、好きという心の動きが起こった次の瞬間には、「あれが、欲しいな〜〜」とか、「もっと、もっと、それをしていたいな〜」という更なる思いがやってくることに、気づかれるのではないかな〜〜 と思います。

 たとえば、美術館に行って、すごく感動的な絵画を見たとします。
 感動したということは、たぶん、好きだから感動したんでしょうけど、帰り際には、「また機会があったら、もう一度、来てみたいな〜〜」と思うこともあるでしょう。
 このような心の動きは、元々、我々人間に備わっていることなので、それをどうのこうのと言えるような問題ではありません。

 心というものが、「それが好き」と感じた次の瞬間に、「それが欲しい」とか、「もっと、もっと、・・・」というように、心の作用として、連鎖反応が起こるものなのだな〜ということがご理解頂ければありがたいです。

「お酒が好きです」「終わり」ということにはなりにくいですよね〜
「お酒が好きです」「飲みたいな〜」「ビール冷蔵庫に有ったかな?」
「いや〜〜 参ったな〜 私の心を見抜かれたようで(笑)」

 大リーグのイチロウ選手が、テレビのコマーシャルで、「人は、好きなことをやるのが一番だよ」みたいなことを言っていましたが、彼個人には通用する考え方でも、すべての人には、それがそのまま通用することではないんだな〜〜 と、そのゼロ4族の若者を見ていて思いました。

 人にも依りますし、また、興味を持つ内容にも依りますが、人は、好きなことだけを、ただ、好きなように、やっていたのでは、場合によっては、エゴが大きくなってしまうこともあるようですよ。
 
 エゴとは、いったい、何でしょうか?
 まあ、一言で言ってしまえば、
「自分さえ良ければ・・・」というような思いでしょうか。

 誰だって、自分が幸せになりたい。
 病気だったら、健康になりたい。
 まずは、自分自身の幸せ、もしくは、自分の家族の幸せ、もしくは、自分の国の幸せ・・・ と、あくまでも、これが基準なんですが、しかし、自分を中心とすることしか考えないで暮らしていると、下手をすると、どんどんとエゴが育ってしまう事もあるようです。

 先に紹介しましたゼロ4族の若者達の心理状態は、エゴそのものの姿です。仮にAグループとします。Aグループの特長は、

 (1)自分が好きなことをやる上で、他へ迷惑を掛けても気にしない。
 (2)自分が好きなことをやる上で、他へ迷惑が掛かるかもしれない、なんてことは、一切、考えてみたことがない。
 (3)自分が好きなことをやる上で、他へ迷惑を掛けていることに気づけない。

 エゴの状態が(1)から(3)レベルですと、もはや、行き着くところまでいってしまうしかないのかもしれませんね。もし、この先、歯止めがきかないとなると、将来的は、犯罪者、もしくは、自暴自棄、・・・いずれにしても、幸せとはほど遠いようです。

 次は、Bグループです。

 自分自身が行動することにおいて、他に迷惑を掛けてしまうことについては慎重になるのですが、でも、自分の事しか考えない。他はどうなったって関係ないよ! と、思っているので、他の人の困っている姿を見ても、手を差しのべるようなことは一切しない。

 まあ、世間的には、人に迷惑を掛けることをしているわけではないので、「その人がそれで満足していれば、それは、それでいいんじゃないですか!」ということになりますが、でも、もし仮にですよ。今現在、自分自身が何かの問題を抱えている。そして、その問題がなかなか解決されない・・・ ということであれば。
 
 この場合には、問題解決の糸口として、心の中にあるであろう「エゴ」を小さくする必要があるかもしれません。

  次は、Cグループです。

 自分自身の幸せを求めてはいるけれども、でも、Bグループのように自己中心的な思いは少なく、自分のことのように他の人のことも考えられるようになっているので、どこかで困った人を見かけると、何かして差し上げたくなる。

 ただし、「いま、自分は、こうやって、誰々の為に、何々をしているんですよ」という意識(有為の行為と言います)が多少ありますので、場合によっては、回りからの評価を期待してしまったり・・・ 

  次は、Dグループです。

 自分が幸せに充ちているので、もはや、自分を優先させることもなく、他の幸せを自分のことにように願えてしまう。そして、その為の行動が、意図的ではなくて、自然に起こる。

 誰々のために、何かをしている。という意図的な気持ちは限りなく小さくなっているために、彼から善意を受けた側の相手は、まったく負担を感じることがないみたいです。

 この段階辺りまでくると、もはや、病気とか、苦しみの波動とは波長が合わなくなってくるみたいなので、仮に、不治の病いになったとしても、自然に改善されてしまうかもしれません。

 次は、Eグループです。

 もはや、自分とか、他人とか、という区別の意識がなく、すべてのものが一つに繋がっている。という感覚の中に居て、たた、だた、自分がしたいように、自分の好きなようにやってはいるが、しかし、現れてくる現象(結果)を見ていると、エゴ丸出しの自分勝手な状態とは、ほど遠く、本人にとっては、好き勝手にやっていることが、ただ、ただ、まわり全体のためになってしまう。

 たとえば、太陽さん。誰の為にということでもなく、毎日、毎日、ただ燦々と輝きながら、自らのエネルギーを宇宙全体に放射している。日照り続きで作物が枯れそうだからと、農家が困っていても、だからと言って、放射する光の量を調整してくれるわけでもない。でも、太陽さんの恩恵を受けて、我々は生きて行ける。

 「最近ね。ちょっと、日照り続きで、作物に影響があるから、だから、少しだけ、放射する光の量を弱めてくれませんか?」・・・なんて、太陽さんにお願いしても、たぶん、聞いてはもらえないでしょうね〜〜!

 太陽さんの意識は、Eグループの「自他」という差別意識がないそうですから、好き勝手に生きているにも係わらず、それが自然そのものであり、しかし、ゼロ4族とは大違い! 

 この段階までくれば、好きなことを好きなだけやっていても、まったく問題は起こらないと言えるようですが、しかし、私たちがいきなり、太陽さんの真似をしても、そう、都合良くはいかないかもしれません。

 つまり、我々の心には、エゴが存在していますし。

 一概にも申し上げられませんが、病気や悩み、苦しみなどは、エゴと親密な関係にありそうですから、そのエゴを薄めて、薄めて、心を透明(クリアー)にすることにより、自分自身が幸せになってゆけるのではないかと思います。

 慈悲の瞑想で念ずる言葉をじっくりと眺めてみると、Aグループに属する人でも、段々に、Eグループに近づけるようにと、プログラムされているのに気づきます。まあ、Aグループの人たちは、慈悲の瞑想になんて、興味を持たないかもしれないけど・・

 自分のことしか考えられない。自分のことしか考えない。という心の状態、すわなち、エゴ拡大の状態でいると、自分自身の周波数が下がってしまい、不調和な波動と共鳴しやすくなってしまうみたいです。

 逆に、自分のことが少なくなり、周りのことを大切に思えるようになるに従い、宇宙(大自然)との調和度がアップするみたいです。すなわち、幸せの波長と同調しやすくなる。ということらしいです。

 波動医学の視点からすると・・・

 苦しみは、自らのエゴと大きく関係しているようです。
 ということは、自らの心の状態が病気等を作ってしまうこともありえる。
 ということは、心の状態が変化すれば、病気も消える。苦しみも消え去る。

 と、言えるようです。

 ただし、心の状態と言っても、我々が日々の生活で認識できる心の領域は5パーセント位(5%が顕在意識)で、残りの約95%は無意識レベルに由来していますから、自から、今現在の自分の心の状態に気づくことは、まず、大変なことだと言えるかもしれません。他人の欠点はよく見えるが、自分の欠点については、気づけないのと同じように。

 波動医学の視点からすると、慈悲の瞑想は、自からの意識エネルギー、つまり心の状態をよき方向へ転換させてくれる一つの道であるのかもしれません。病気、苦しみ、悲しみ、不安、恐怖、などなど、あらゆるネガティブな現象を断ち切るための自己改善プログラムとも言えるようです。

 この先、何年掛かるか分かりませんが、先に紹介しました「Dグループ」までは、必ずや、たどり着きたいものですよね。ここまで自分自身が大きく成長できれば、もはや怖いものなしという心境になれるのかな〜〜

 イチロウ選手がコマーシャルの中で言っているように、「人間は好きな事をすることで成長する」ということも、ある意味においては真実なんでしょうが、でも、別の立場からすると、エゴを育ててしまい、道を外すこともなりかねない危険性もあるようです。

 ですので、通常は、自分のやりたいことをする場合、やりたいと思う内容を、法律であるとか、規則であるとか、ときには、モラルであるとか、道徳等に照らし合わせてみて、「これならば、やってみても、大丈夫そうだ!」ということを確認してからでないでないと・・・

 アメリカに代表される自由主義を成り立たせる背景には、「規制」という束縛も同時存在していますが、しかし、人間というものは、規制、束縛なしに、100%自由に生きてこそ、真の幸せを感じられるものであり、何かの制約を受けている中で、自身の自由さを保っていても、満足度は少ないですし

 出来ることならば、太陽さんのように、「100% 自由気ままに やっていて」、でも、誰からも文句を言われることもなく、また、自然の流れと完全に一致し、実際に多くの者達に恵みを与え、周りからも感謝され・・・というような本来の自由さの中に居たいですよね〜〜

 自分の好きなことを限りなく求め続けながらも、でも、エゴを小さくしてゆくということ。一見、矛盾するようにも見える内容ではありますが、しかし、それを実現させることが、もしできるとするならば、そこには、慈悲の瞑想的な考えがベースにある必要があるのではないのかな? とも思えます。

 興味のある方は、「自分の願いと、天の願いが、完全に一致すること」を願って、慈悲の瞑想にお励み頂ければと思います。



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