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NO.45 些細な事

 病気とは、気が病むこと。健康のことに関心を持っていると、この言葉、よく耳にしますよね。

 「頭が重いような気がするんですが~~」
 「ちょっと、お腹が重い感じがするんだけど~~」
 「胸の辺りが、ちょっと、息苦しいような気がするんですが~~」

 そんなこと、いちいち、気にしなければ良いのに! と思うことばかり。

 病気とは気の病であって、些細なことを気にしていると、本当に病気になってしまうでしょう。だから、私は、多少の違和感があっても、あまり、気にしないようにしているのよね。
 ・・・と、一般的にはこの傾向。

 そうですよね。
 世の中、ちょっとのことでも、大騒ぎする人って意外と多いですからね。

 ちょっと、胃が重い感じがするだけでも、すぐに病院へ行って検査してみないと、
 「もしかして、自分は胃癌なんではないだろうか?」と心配してみたり

 ちょっと、偏頭痛がしただけでも、脳出血で倒れるのでは、と不安になってしまったり
 ちょっと、手先がしびれただけでも、脳に異常があるのでは、と考え込んでしまったり
 俗に言う心配性による「心気症」なのかな。

 あまりにも些細なことに神経質になると、それこそ、本当の病気になってしまうということで、病気とは気の病だから、些細な事はあまり気にしない方が良いですよ。と、アドバイスしてあげた方が良いのでしょうか?
 世間の多くの方は、心配性の方に対しては、そのようにお伝えするでしょうね。

 でも、へそ曲がりの私は、もっと、もっと、気にした方がいいですよ。と、逆のことを言ってしまいそうな氣がします。こんな話を聞いたことありませんか?

 生まれたときから身体が丈夫で、多少の無理をしても疲れも知らず、カゼなど、ほとんど引いたこともなく、もちろん、病気とはまったくの無縁で、病気の「び」の字も知らないよ! というような、いかにも健康であったあの人が、ある日、突然、心臓発作で亡くなりました。とか、たまたま人間ドッグに入ったら「すでに、手遅れです。・・・」と診断されたり。

 逆に、「胃が、なんとなく、重い感じだな~!」「今日は、頭が少し痛い気がするな~」「・・・が、なんとなく調子悪いかな~~」と、いつも、いつも、身体の不調を訴えて病院通いをしている人が、意外と100才まで長生きしたり。

 どちらのタイプが幸せな人生のかについては、私はよく分かりませんが、私個人の考えとしては些細なことでも「大いに大いに気にして頂いた方がいい」ようにと思うのです。ただし「大いに大いに気にして頂いた方がいい」と言っても、「注意事項」がありますから、その辺りはこれからご説明させて頂きます。

 ある時、ある方(A さん)から、以下のお便りを頂きました。
 A さんは、気づきの瞑想、慈悲の瞑想を実践されているそうです。

 以下引用します。
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 ところで今日少し長く気づきの瞑想をやってみました。
 すると左の胸の心臓の少し上あたりに違和感、しびれのようなものが感じられました。
 しびれ、しびれとサティーを入れていると去っていきましたが、しばらくすると
 また戻ってきて、行きつ戻りつという感じ。これは何なんでしょうか。

 さらにからだが熱くなってきました、血行がよくなってきたのでしょうか?
 かゆみもやってきました。
 気づきの瞑想の重要性を感じました。
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 ・・・というお便りでした。

 気づきの瞑想を続けていると、感覚が敏感になってくるので、身体の微妙な変化に対しても、今まででしたら、とても気づけないようなことに対しても、気づくようになります。実は、この「身体の微妙な変化」に対して気づくということが大切なんです。
 
 些細なことを心配して、ただ、悩んでしまう。という神経症の方の場合と、Aさんのように、気づきの瞑想を実践されて、身体感覚が敏感になり、上記のような「身体の微妙な変化」を気づくということでは、まったくの別物なのです。

 気づきの瞑想をやっている最中は感覚が敏感になっていますから、日常には感じられないからだの些細な違和感を感じることがあります。この場合、あそこが痒いとか、足がしびれるとか、あくまでも肉体レベルでの感覚もありますが、先のAさんや、これからご紹介しますBさんの場合には、気づきの瞑想中に、単に肉体レベルの感覚を感じたのではないようなこともあります。

 Bさんからのお便りをご紹介しますと、
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 「腹式呼吸すると、第四チャクラから5センチくらい上の両胸(鳩胸と呼ばれるあたり)で、胸騒ぎがします。そして、腹式呼吸を止めると、なくなります。」とのことですが。

 これは、どうも肉体レベルで、何かが起こっているという感じではありません。推測ですが、エーテル体(幽体)レベルでの異常に対して、彼女自身が気づいているという感じです。先に紹介しましたA さんについても、同じことが言えるでしょうか?

 一般的に我々は、からだと言えば、「肉体」と思っていますから、からだの違和感はすべて肉体の異常として捉えがちです。しかし、ヒーリングを仕事としている私の立場からすると、患者さんが肉体レベルの異常として訴えかけてくる症状でも、実は、エーテル体レベルのことであったり、アストラル体レベルのことであったりすることもあります。

 A さんから、再び、お便りがあり・・・
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 こんばんは。いつもありがとうございます。今日も気づきの瞑想をやってみました。すると、昨日と違い、集中しようとすると、これまでの過去のことが、ほんとうに文字通り、走馬灯のように蘇ってくるのです。よかったこともつらかったことも、なんだか涙が出てきてしまい。

 なんとか押しのけて集中しようとすると、どういうわけか、足元だけが熱くなってきました。昨日は全身だったのですが。不思議です。もっと続けてみます。
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 このお便りを拝見されて、あなたはどう思われますか?
 過去のことが走馬燈のように・・・ということですが、これはアストラル体レベルに残存していたエネルギーが、気づきの瞑想を通じて、浄化されている瞬間です。そして、その浄化のプロセスが、再び、エーテル体レベルにも起こりはじめているという感じでもあります。

 このように、瞑想中には、通常では感じられないようなことが起こる場合もございます。必ずしも瞑想をしていない場合でも、癒しクリエーションのヒーリングを受けていただいている最中には、このようなことが多々起こることがありますが、いずれにしても、浄化作用の一貫として、起きていることですので、ご安心頂ければと思います。

 瞑想は、自分自身への癒しの行為の一つです。先に紹介しましたように、瞑想中に、集中している内容とは別に、たとえば、お腹のへこみ、ふくらみの感覚とは別の異なる感覚が強く感じられてしまうということもあります。この場合には、一旦、へこみ、ふくらみへの集中はやめて、そして、いま、最も強く感じられている違和感へ全神経を集中して頂いても結構です。

 ほとんどの場合、違和感をただ感じ続けていると、自然に消えてしまいます。ただし、根が深い違和感の場合には、一度の瞑想だけでは処理できませんから、瞑想毎に、同じような違和感が出てくることもあります。

 私の知り合いで、一つの違和感が一年以上も在り続けているという方がいらっしゃいますが、それはそれで、充分に意味のあることですから、いつの日か、その違和感が完全に消え去るまで、瞑想毎にその出てきた違和感を感じ続けてみてください。

 その違和感がなかなか消えないし、どうにかして欲しいな~ ということでしたら、その時は、癒しクリエーションへ、気功治療(ヒーリング)をお申し込み頂いても結構ですよ。宣伝になって恐縮ですが、一人でやっているよりも、数倍早く、その違和感を処理することができると思います。

 私自身は、転生輪廻という思想を受け入れている者の一人ですが、人の人生は今生(この世)だけではないんじゃないのかな~という視点に立ってみた場合、もし仮に、過去世(前世)のどこかの人生で、体か心に大きなダメージを受けて、それがエネルギー体(エーテル体やアストラル体など)レベルに記憶されたまま、今生に生まれてきたという場合には、過去世で受けたダメージを、今、違和感として感じることもあるようです。とっても信じにくい話で申しわけございませんが。

 たとえば、仮に、過去世で、武士をやっていて、切腹した。という経験をお持ちの方がいらっしゃったとします。その当時のお腹の傷がちゃんと治癒されていれば良いのですが、場合によっては、その時の衝撃がエーテル体やアストラル体に刻まれたまま、今生に出生することもありえます。

 そうなると、その方は、お腹に何かが突き刺さっているような違和感を感じることがあるかもしれません。敏感の人の場合には普段生活していても、そのような違和感をなんとなく感じられることもありますが、あまり敏感でないな~という方であっても、気づきの瞑想中とか、または、ヒーリングの最中ですと、感じられることがあるかもしれません。心と体がリラックスしている「静かな時」だと、その違和感を感じやすいということでしょうか。

 高速道路の側でコオロギが鳴いたとします。でも、車の音がうるさくて、コオロギの鳴き声は誰にも聞こえません。でも、本日は工事のため、高速道路は通行止めとなっています。という「静かな時」には、「あれ~~ こんな処にコオロギさんが居て、鳴いていたんだね~~」ということになるのと同じです。その些細な鳴き声に、いや、些細な違和感に対して、

 感じたことに対して、
 それはいったい、何なのだろうか? 
 どうしたら、それから解放されるのだろうか? 
 なんで、そうなったのだろうか? 
 などなどと余分な思いは一切しないで、ただ、ただ、感じ続けるだけ

 もう20年近くも前の話ですが、ある方から相談がありました。その方のお悩みは「自殺したい気持が抑えられないから、助けて欲しい」ということでした。何度も自殺を試みたそうですが、死にきれないでいるとのことでした。でも、本当は死にたくはないのだとおっしゃっていました。

 いざ、彼のヒーリング(遠隔気功でした)をやらせていただいて、ビックリしました。彼の自殺したいという意識エネルギーの原因の部分に、私自身がチュウニングすると、私自身が闇の中へ吸い込まれるような、崖から飛び降りたような、もの凄い勢いで、地底へと引き込まれるような、不思議な感覚がありました。言葉では表現不可能な感じですが、凄まじい勢いでした。

 私自身にとって、このように強烈な感覚は始めての経験だったので、いったい、これから、どうなってしまうのだろうか。と、ヒーリングの最中に不安な気持ちが一瞬、頭を過ぎりましたが、しかし、もうすでに始めてしまった以上は後には引けないし、腹を決めて、どん底へとドンドン引き込まれる感覚を、ただ、ただ、感じ続けてゆきました。ある地点まで墜ちたその時に、もう、それ以上は吸い込まれる感じがしなくなり、やっと止まったな~ということで、その日の遠隔気功は終わりにしました。

 ただただ感じるという感覚の中で、連続5日、ヒーリングをやらせて頂いたのかな~ 徐々に闇の中へ吸い込まれるような感覚がなくなり、最終的には、まったくその感覚が無くなりました。それと平行して、彼の自殺への衝動は徐々に消えてゆき、最終的には平常な自分へと戻れたそうです。後で、もう大丈夫です。お陰様で助かりました。と御礼を言われました。こちらこそ、ありがとうございます。でした。

 余談ですが、自殺って、こんなにも凄い「負のエネルギー」と関係している事であるものだったら、そうされてしまう方が世の中に居たとしても、ある意味、仕方がないのかな~とも思いましたし、

 私事で恐縮ですが、もしも、あのまま、あのエネルギーに引きずり込まれたら、私自身も大変な事になっていたのかな~ とも思いました。そういう面では、ヒーリングはいつも命がけというか、真剣勝負なんだな~ と思いますが、お陰様というか、気づきの瞑想(観察)の練習の功徳により、あの時は、本当に、私自身も救われたな~ と思いました。気づきの瞑想、ありがとうございます。です。

 感じたことに対して、
 それはいったい、何なのだろうか? 
 どうしたら、それから解放されるのだろうか? 
 なんで、そうなったのだろうか? 
 などなどと余分な思いは一切しないで、ただ、ただ、感じ続けるだけ