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気の学校とは、癒しクリエーションが発信する気&波動情報!
ユーモアたっぷり。素人さんでも読みやすい。軽いのりです。
どうぞ、気楽に読んでくださいね!

NO.26 慈悲の瞑想
NO.27 慈悲の瞑想,2
NO.28 気づきの瞑想
NO.29 病気の原因
NO.30 感覚敏感

NO.31 好転反応
NO.32 チョコレート
NO.33 冬菊
NO.34 集中力
NO.35 残存エネルギー

NO.36 エゴ とは
NO.37 意のエネルギー
NO.38 ブッタ効果
NO.39 懺悔
NO.40 厄払い

NO.41 愛のエネルギー
NO.42 愛のエネルギー2
NO.43 智のエネルギー
NO.44 ひびき
NO.45 些細なこと

NO.46 霊的遺伝子
NO.47 結界
NO.48 中心
NO.49 無駄な努力
NO.50 チベット医学
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NO.1〜 NO.25
NO.26〜 NO.50
NO.51〜 NO.75
NO.76〜 NO.100


NO.47 結界

もう、10月の後半ですが、大晦日が近くなると、どこの家でも大掃除をしますが、あなたの家でもやりますか? ぜひ、お時間がありましたら、今年の暮れは丹念にやって頂くといいのかな〜 自分が住んでいる空間がきれいなることは、波動の世界からみても、とても、大切なことのようです。ということで、本日は、空間の浄化についてお話しさせて頂きます。

数年前ですが、大坂へ行ったときのこと、昼ご飯を食べるために、レストランに入りました。お行儀が悪いですね〜〜 食べている最中に、満タンとなってしまったので、仕方なく、急いでトイレにゆきました。「ジョ〜〜」と、オシッコをしていたら、何だか、船に乗っているように、頭がフワフワと揺れる感じがするではありませんか。

「あれ〜〜、めまいかな〜?」と、一瞬、思いましたが、昨晩、酒を飲み過ぎたということでもないしね〜〜 フワフワと揺れながら、事が無事終了! 不思議な感覚だな〜と思いながらトイレから出てきましたが、トイレから出てしまうと、もう、その感覚はまったくありません。そして、残りのご飯を食べ終えて、再び、トイレにゆきました。

「エッ、また、トイレ〜〜? 今度は、もしかして、(大)の方では?」 ・・・と余分に気を回さないでくださいね。2度目のトイレは用を足すためではなく、単なる私の物好きな性格からなんです。興味津々と、再びトイレに入り、今度は集中して「あれ」を感じてみました。

「おお、やっぱりな〜〜」と、納得してしました。

ひとことで言ってしまうと、場のエネルギーが非常に悪かったようです。以前、この場(トイレ)で、何か、あったのでしょうかね〜〜 でも、私は霊能者ではないので、それ以上の深いことについてわかりませんが、レストラン全体がというよりは、トイレだけが、なんとなく、おかしいな〜〜というのは極めて珍しいケースでした。

私は変わり者ので、二度もトイレに入って、わざわざ「あれ」感じてみましたが、あまりお薦めの行為ではないので、できれば、真似をしない方が賢明なのかな〜と思います。君子、危うきに近寄らず。という「ことわざ」がありますように。

通常ですと、このように粗雑な波動(氣)に接触してしまうと、前に「霊媒体質」というタイトルで紹介しましたように、霊媒体質の方ですと、体の具合が悪くなってしまうことがあるようです。時には、精神的に不安定になってしまうことも。

われわれ仲間内では、そういう状態を「被ったね」と呼んでいますが、まさに、「被っちゃう」わけです。ということは、私は、その場で「被ってしまった」のでしょうか?

厳密に言うと、感じるのと、被るのとは、まったく異なる内容です。いかに粗雑なエネルギーの影響を受けていても、それに気づいていることができると、被らないで済むということであります。その場の影響を「今、自分自身は受けている」ということに気づいている限り、逆に、被らないでいられる。という結果になるということでございます。影響を受けていることに気づいてる時には、影響を受けていない。というなんとも不思議な方程式でございます。

もし仮に、ある方が先程のトレイに入ったとします。でも、私のように、何も感じないで、トイレから用を足して出てきたとします。「ああ、スッキリしたな〜〜〜」なんて、用を足した瞬間はそう思ったとしても、その日の夕方位になってから、「何となく、寒気がするな〜〜 頭が重い感じがするんだけど・・・。おまけに、気分が悪くなってしまった・・・」

昼に入ったレストランのトイレの影響が、後になってから現れたというパターンです。でも、その急激な体調の変化が、あのとき、あのトイレの影響だな〜とは、まったく想像もつきません。気づいていないと、まさに被ってしまって具合がわるくなったという一例です。本日は、被ること云々について、お話しする予定ではないので、この話はこのくらいにして先へ進みます。

20代前半の頃に、禅寺に座禅をするために行ったときのことです。プロのお坊さん(修行者)にまじって、私も、座禅をさせてもらいました。今から、1時間座りますよ。という合図のもとで、座り始めて、30分位したときのこと。あるお坊さんが、いきなり、大きな声を上げて笑い始めました。

いったい、何だろう? みんな真剣に座禅をしているというのに、なぜ、このお坊さんだけは、不真面目に笑っているのだろう。それに対して、彼を注意する人は誰もいないし・・・! 何とも、不思議な感じの雰囲気が漂っていました。

座禅の間中、そのお坊さんは1人、理由もなく、笑っていたので、私はそれが気になって、気になって、座禅どころではありませんでした。座禅が終わったあとで、別のお坊さんに、
「さっき、座禅の時、なぜ、あのお坊さんは、笑っていたのですか?」と尋ねると・・

「ああ、あの人ね。彼は、病気なんだよね。数年前から、ちょっと、精神的におかしくなってしまったようで・・・」

なるほどね。あれが世に言う「禅病」なのかと思いました。禅の修行に熱中し過ぎたために、気が狂ってしまうということがある。と、何かの本に書いてあったのを思い出しました。自分自身の為にだけ修行をし過ぎると、おかしな波長と同調してしまって、精神状態が、とても不安定になるということらしいです。ときには、精神病というか、気が狂ってしまうこともあるようです。何となく、気持ち悪い感じがしたので、もう、そのお寺で座禅修行はできないな〜 と思ったので、即刻、退散してしまいました。

そう言えば、5歳のとき、私が保育園に通っているときも・・・
親に連れられて、保育園に向かってゆくと、何となく、お腹の調子が悪くなったり、気持が悪くなったりして、どうしても、歩いて10分程度の保育園にたどり着くことができないのです。歩きながら、「ああ。お腹が痛くなった」「ああ、気持ち悪〜〜〜い」などと、駄々をこねて、結局のところ、目的地の保育園まで行けずに、途中で引き返すことが毎日のようでした。しかし、帰りの道のりは、スキップしながら、鼻歌まじりのルンルン気分でした。

さすがの気長な母親もこれには頭にきたとみえて、もう、お前は保育園には行かなくてもいい。と、保育園に退園届けを出してしまいました。それ以来、ずる休みの「けんちゃん」ということになってしまいました。

保育園に行かなくてもよくなったのは、ホッとしたことではありますが、ただ、困ったことに、遊び相手が誰もいないのですよ。みんな、同年代の子供達が保育園なり、保育園なりに行ってしまって、平日はつまらなかったですね。

なので、遊び友達欲しさに、「俺も保育園に行かせてくれよ」と、親に頼むと、「ダメだよ。お前は、どうせ、また、ずる休みばかりするんだろうから・・・」と、シビアな返事が返ってきたりして・・・

「大丈夫だよ。今度こそ、ちゃんと通うから、頼むよ」と何度も、何度もお願いして、翌年春には、別の幼稚園に入園しました。そこでは極めて順調に、毎日、毎日、楽しく、楽しく、保育園に行くのが待ち遠しいくらい。ガールフレンドができちゃったんですよ。エッ、ヘッ、ヘッ〜〜〜 そんな、こんなで、やっと、小学一年生になったんです。

つい最近、その保育園は取り壊されましたが、その保育園の前を通り過ぎる度に、「うん〜〜 なるほどな〜〜」と、思います。お墓と、お墓の中間に保育園が建っていたんですよね〜〜 誰が見ても、不思議な光景だったですよ。

実際、保育園で、約1ヶ月位は、過ごしたと思いますが、その場にいると、私の場合、気持ち悪くなってしまったんですよ。いま、思えば、あれは私の我が儘ではなく、あの場のエネルギーが、イマイチだったんだな〜〜 と、思いますが、その当時は、そんなことも分からないし・・・

もう、あれから45年位は経つんですが、でも、その当時のことを知っている親戚の人達は、今でも、「けんちゃんは、保育園の時から賢くてね〜〜〜」「お腹が痛いから・・ なんてウソを言って、いつも、保育園をさぼったりして、でも、帰りの道のりは元気なんだから・・・ まったくね〜〜!」なんて、言われたりするんですよ。

嫌になっちゃいますよね。この年になっても、昔のことを言われると・・・
まさか、あの場のエネルギーが・・・、なんて、そんな話も分かってはもらえないし・・・
場のエネルギーって、わかりにくい話ですが、でも、確実に人に影響するんですよ。

先程、禅の話がでましたので、余談ではありますが、ひとことお伝えしますと、瞑想を安全に進めてゆくには、慈悲の心が不可欠だそうです。そこで、お釈迦様は、統一(禅も含む)を目的とする瞑想の他に、気の学校でも以前、紹介しました慈悲の心を育てるという「慈悲の瞑想」を、必須のものとして弟子達に伝えたようですよ。

修行とは、ある意味、とてもエゴイスティックなものです。今、在る状態に満足していないから、もっと、こうなりたい! と、自らの描いたイメージに向かって自ら努力するわけですから。

瞑想をしていて心が穏やかになるのでしたら、それは、それは素晴らしいことですが、瞑想をしていて、気持ちが不安定になるという現象がどうして起こるのか? いくつか、原因が考えられますが、その一つとして、場のエネルギーとも関係しているようです。

場のエネルギーの善し悪しについては、いくつかに分類できます。
簡単ですが、ご紹介しましょう。

(1)地盤の素材の善し悪しによって

地球全体には北極と南極を結ぶように、南北に磁力線という微弱なエネルギーが流れています。ですから、方位磁石によって、方角を知ることができるわけですが、地盤の素材云々によっては、方位磁石がまったく役に立たないという場所もあるようです。

方位磁石が正確な方位を指し示すせないような場所は、我々、人にとっても、あまり、住み良いところとは言えませんよね。

これまた余談ですが、私たちが寝る場合、もっとも楽な休み方は、方位磁石の針が指し示すように、南北に流れる磁力線に添って寝ることです。ただ、精神的に安定しない場合には、北枕はやめ、南向きに寝た方が良いと思います。

ですが、いつも、いつも、幸せ一杯というような人は、むしろ、北枕にされると、更に幸せ一杯だそうですよ。みなさんは、どちら向きで寝ているのですか?

(2)電磁波の影響によって

場のエネルギー、空間のエネルギーの善し悪しは、電磁波の影響によっても変わります。電磁波が人体にとって、良くないことは最近、誰もが知っていることとなりましたが、まさにそれです。

(3)形態から発するエネルギーの影響によって

形からは、その形特有のエネルギーが放射されます。たとえば、水からの伝言という本がありますが、この本によると、水のエネルギー状態(波動の善し悪し)を調べるのに、水を凍らせて、その氷の結晶状態を観ることで、その水がどのようなエネルギー状態であったのか、だいたいの推測ができるようです。


素晴らしいエネルギーを持つ水は、凍らせたときに、きれいな六角形の結晶となりますが、汚れた水では、六角形とはなりません。このように、たった一滴の水でさえ、その水独自の形を持っており、そして、その形に応じたエネルギーを、外部に放射しています。

我々が暮らす空間と言えば、まず、第一に思い浮かぶのが家ですが、家にもそれぞれの形があるわけですが、その形、形によって、その家独自のエネルギーが、内外に向かって放射している、ということになりますから、良き形の家に住んでいれば、その住人はいつでも、そのエネルギーの恩恵を受けることになり幸せな限りです。そして、その周りに住んでいる人にもその影響が反映されるということになります。

しかし、あまり良きエネルギーを発することのないだろうと思われるアンバランスの形の家に住んでいると、ときにはそれが原因で、病気になってしまうということもあるようです。風水的な考え方とも共通するかもしれませんが。

参考までに、エジプトのピラミッドですが、あの場に、たくさんのピラミッドが存在するということによって、地球全体のエネルギー状態がうまく調整されているようです。信じられないようなことですが、あれは、王族の墓だけの目的で作られたというよりは、もっと、もっと、深い意味があるようです。


あれだけ、でかいピラミッドですと、地球規模に影響を与えるということになるようですが、もっと、身近な例として、たとえば、日本の国旗、日の丸など、さまざまなシンボルマークの一つひとつにも、その形としての意味があり、その形から醸し出されるエネルギーの影響を、我々は知らず知らずのうちに受けているようです。

(4)人から発する感情エネルギーや、意識エネルギー(想念)の影響によって

形在る物だけでなく、人の心という無形のものからも、さまざまなエネルギーが発せられています。


感情エネルギー、そして、思考エネルギーなどがそれですが、これらの影響は(1)から(3)までにあげた内容以上に、良くも悪くも、我々に深刻に影響を与えます。

(1)から(3)までも大切な要因ですが、今回、ここでフォーカスしたいのは(4)ですが、この(4)を理解することで、気、波動、ヒーリングと言った世界の基礎が出来上がります。人の感情エネルギーが、人の思考エネルギーが、場のエネルギーの善し悪しを決定するかも・・・ということを知っているだけでも、得した気分になれるかもしれません。

たとえば、新宿駅の人混みの中と、群馬の野山と、どちらが、のびのび、できるでしょうか?
よっぽどの「あまのじゃく」さんでもない限り、群馬の野山を選ぶでしょうね。
では、いったい、何が違うのでしょうね。

例えばですが、
人の想いのエネルギーを、いわゆる想念というものを、波の性質と、粒子の性質と、二つに分けて捉えてみたとします。


ただし、この場では、波の性質については言及しません。
以前、宇宙を構成する粒子(?)を測定する装置を開発し、その実験に成功されたということで、東大の先生がノーベル賞に輝きましたが、それは非常に朗報であります。


私たちが想うことで生じる想念エネルギーには、波としての性質の他に、粒子としての性質があるように思うからです。

つまり、「想念は、粒子によって構成されている」という仮説が、その実験の延長線上のこととして、近い将来、ゆくゆくは解明されるかもしれないと期待できるからかもしれません。

なんせ、田舎者ですから、いや、もしかして・・・
私が知らないだけのことで、すでに科学的に「想念の粒子」についても、解明されているのかもしれませんが・・・

もし、感情エネルギー、思考エネルギーには粒子としての性質があるということになると、厳密に言うと、もっとも小さい粒子を研究する場合など、実験する人の意識エネルギー(感情、思考のエネルギー粒子)の影響を多分に受けるということになるようですから、実験者の精神状態によっては、多少の誤差が生じるということにもなるかもしれませんよね〜


あくまでも試験者は、ニュートラルな意識状態で行わないといけないようですから、大変な分野の研究だと思います。

前回、書きました霊的遺伝子の中で、法力を組む。ということについて触れましたが、実は、法力を組むということは、宇宙を構成している最も微細な粒子を操作していることに等しいことにもなるようです。密教的な話ではありますが、実に、科学的でもあるように、私個人は理解しています。

いや、いや、何だか、難しい話になりそうなので、話題を戻します。仮に、私が 「あの人大嫌い」と想ったとします。
私自身から、「あ の ひ と だ い き ら い」 と9文字の、いや、9個の意識エネルギー(粒子)が外に飛び出したとします。
また、次の瞬間に、「あちらの人も大嫌い」と、想ったとすると、今度は、「あ ち ら の ひ と も だ い き ら い」と、12文字の、いや、12個の粒子が放出されてしまうというわけです。

と、このように、私たちが想うたびに、私たちの一人一人から、想念の粒子が発生するんだな〜〜 と、この場ではとりあえず、そのようなイメージを持って頂ければありがたりです。

では、話を戻しますが、新宿駅では、たくさんの人が歩いていますよね。歩きながら、心の中で、不満一杯の人もいれば、怒りながら歩いている人もいれば、悲しい想いを引きずりながら歩いている人もいれば・・・ ま〜〜 いろいろな粒子が飛び散っているという感じです。

仮に、1立方センチメートル(1cm×1cm×1cmの空間)の空間の中に、どれ位の数の想念の粒子が存在しているのか? と考えてみますと、たとえば、新宿駅では、1立方センチメートルの中に、100万個も存在するかもしれませんよ。

それに対して、群馬の野山では、たったの30個かもしれません。新宿駅のように、想念粒子の密度が濃いと、われわれが感じる感覚としては、何となく、息が詰まるな〜 と感じることもあるようです。ただ、人が多いから。というよりは、粒子の数が問題だと思って下さい。

仏教用語なのでしょうか? われわれ仲間内では、場のエネルギーが安定している状態のことを、「結界」が安定していると言います。もしくは、「結界」の安定度が高い。とも言います。粒子の数が多いと、結界が安定しないということになるわけです。

結界の安定度が高い場所ですと、人数に関係なく、空間としてのゆとりを感じるようです。たとえば、ある10帖の部屋に、10人の人が居たとします。ちょっと、息苦しいような雰囲気を感じることもあるでしょう。

また、ある時、別の部屋(広さは同じ)に、15人の人が居たとします。人口密度から言うと、こちらの方が窮屈さを感じるでしょうが、でも、この部屋の中に居たときには、まったく窮屈さを感じなかったということもあるでしょう。何が違うのかと言うと、その時々の結界の安定度です。

先程の話、1立方センチメートル内に何個の粒子が存在するのか? 人口密度でなくて、粒子密度が問題となるようです。仮に、1立方センチメートル内での、粒子の数が多い空間ですと、たとえ、10帖のヘヤに3人しか居なくても、とても、とても、息苦しく感じます。
ご経験はないでしょうか?

残念ながら、今現在の科学では場のエネルギー(雰囲気)を第三者的(客観的)に、測定することはできません。あくまで主観的ですが、結界の安定度を知る、ちょっとした実験なら誰にもできます。波動測定器なるものも世の中にはありますが、私がお伝えしたいと思っている内容を、今現在、世に出回っている波動測定器で測定することはできません。

簡単にですが、紹介します。興味がありましたら、実験してみて下さい。まず、最初に、自分自身の身体の境界線というものを確認します。私と、私以外の外界との境界線ですが、通常ですと、肉体レベルでの境界線、つまり、皮膚までを意識しています。

服を着ていたとすると、ときには、服も含めた部分を、私自身と認識しています。もし、仮に、あなたが厚手のダウンジャケットを着ていたとして、そして、あなたの好きでないタイプの他人が、あなたのダウンジャケットに触れたとしたら・・・

たぶん、あなたは、「なんで、私に触れるのよね!」 と、ちょっと、怒り気味になるかもしれません。厳密に言うと、その人が触れたのは、あなたの肉体(皮膚)ではなく、着ている服なんですが、でも、着ている服も自分の一部だと感じている人にとっては、まさに、自分自身に触れられたと感じるわけです。

仮に、今、着ている服よりも、さらに10cm広がった空間を、「これも私です」と、思える人がいたすると、その人にとっては、その10cmを広げた空間までが自分自身なのです。人によっては、1メートルの広がりまでが自分自身だと感じている人もいらっしゃるようですから、そのような人が、朝夕の満員電車に乗るということは極めて、辛いことでもあるようですが・・・

という視点をもち、感じてみたい空間内に入って、そして、目を閉じてます。自分自身の広がりを感じてみます。結界が安定しない場ですと、自分自身というものが、自分の肉体以上には広がりません。私と、外界との境界線は、まさしく、皮膚を境に・・・という感じです。

ときには、もっとも安定度が悪いと、皮膚という境界線よりも、更に、自分自身が押し込められたように感じてしまいます。萎縮してしまって、頭が、詰まったように感じることさえあるようです。海底に棲んでいるヒラメさんではありませんが、空気の圧力によって圧迫されているようにも感じることさえあるようです。まあ、とにかく、窮屈極まりないですね。

しかし、結界が安定している場ですと、目を閉じて、先程と同じように感じてみますと、自分自身の境界線が皮膚よりも遙か遠くまで広がっているように感じます。たとえば、ブナ林など、人がまったく居ない、場のエネルギーが安定したところでやってみますと、10メートルも、20メートルも、時には、数百メートルも先まで自分自身の一部のような感じがします。

さて、ここで一歩、さらに深く入りますが、一般的には、その場の結界の安定度に対して、我々は、ただ、ただ、それに従うしかないというのが現状ですが。
まあ、それしか、そこにはないわけですから・・・
でも、それでは、ときには、困ることが起こります。

たとえば、瞑想をするときなど。
ある会場を借りて、仲間で瞑想をしようということになったとします。
会場を借りられたのは良かったですが、ただ、結界の安定度が非常に悪いということになった場合、どうしましょう?

結界の安定度が悪い場で、瞑想などをしていると、先に紹介しました禅のお坊さんのように、精神状態がおかしくなってしまうこともあるようです。とても、怖いですね。ですから、それを避けるためには、如何なる邪魔(粗雑な周波数のエネルギー)も入らないようにと、バリアを張らなければなりません。

我々仲間内では「結界を張る」と言っていますが、ある一定の時間だけ、「その空間に対して」と限定して、クリアーな状態にするということが要求されるわけです。

瞑想をする会場として、仮に、○○市民文化センターの3号室を午後1から5時までの間、借りたとしたら、当日の午後1から5時の間に限り、○○市民文化センターの3号室を特別な空間にすることが必要なのです。これが実現されない限り、とても、とても危なくて、瞑想など、する気にもならないわけですよ。

仮に、それが事実だとしても、一般的には、現実として、誰もが皆、そのようなことを意識しているわけではないので、仮に、ある方が瞑想会などを主催した場合、仮に、結界が安定しない場でも瞑想が行われてしまうわけですが、そのような場合には、通常は、危険を避ける為に、本人自らの防衛措置として、深い瞑想に入れない代わりに、安全を維持するということになるようです。結界が安定しない場で、深く瞑想に入ってしまったら、まず、危ないですから。

このような視点は、瞑想に限らず、ヒーリングの時でも、同じです。また、ヒーリングに限らず、あらゆる場面でも、適応されます。ただ、ほとんどの方が、そのようなことを意識していないだけのことです。でも、今日から、それを意識した生活をして頂けたら、生活の質が変わるでしょう。

たとえば、最近のニュースでは、医療ミスが多いですね。医療ミスが起こるということについて考えてみても、やっぱり、結界の安定度と大きく係わりあっているようです。

車を走らせながら、ラジオを聞いていたとします。たまたま、送電線の下を通過したとします。今まで、心地良く流れていたラジオの音楽が、一瞬のうちに、雑音と化します。送電線の電磁場の影響で、ラジオ電波が乱れたのでしょうね。これと同じような現象が、私たちの意識においても起こります。

Aさんのために、(A)というラベルの点滴(栄養剤)を用意しました。そして、Bさんのために、(B)という名前の薬を用意しました。二つの点滴剤を持って、各患者さんの病室を回っている内に、フッと、その看護婦さんの意識に雑音が入ってしまって、Aさんに(B)の点滴を、そして、Bさんに、(A)の点滴をしてしまったとします。

お互いの点滴を間違えてしまった。ということで、責任問題となりますが、もちろん、看護婦さん個人の問題でもありますが、先の「結界」という視点からすると、結界の安定度が悪いから、そうなったと言えるミスもあります。

以前、空を飛んでいる飛行機と飛行機とが、空中で接触して、大惨事となったことがありました。事故原因を調べたら、管制官の誘導ミスだったそうです。通常では間違えるはずがないのに、なぜ、間違えてしまったのでしょうか? もちろん、管制官本人の問題でもありますが、やはり、管制室の場の安定度、つまり、結界の安定度が悪かったために、起こった事件とも言えるようです。

さて、いよいよ、終盤に入りますが、また、あるとき、先程とは別の禅寺に座禅をするために行きました。そこでは、座禅もさることながら、朝から晩まで、掃除、掃除の連続で。当時、まだ20代と若かった私には、それが、非常に、非合理的にさえ、思いました。

午前中、磨いた床をまた、また、午後に雑巾掛けですよ。だいいち、まだ、2,3時間しか経っておらず、その廊下は誰も歩いておらず・・・だったら、汚くなっているはずもなく・・・

まともな精神状態の人だったら、汚れていない廊下を、1日の内に、そう何度も、何度も、雑巾掛けするなんて、考えられないことでしょう!

さぼっていると、叱られるので、心の中では納得ゆきませんでしたが、仕方なくやって、その場をしのぎましたが・・・あとで、考えてみると、なるほどな〜〜 と思いましたよ。

もちろん、いろいろな意味があって、ああ、何度も同じ所を掃除するということが修行の一つだったんでしょうが、結界という面から考えてみても、うなづけるんですよ。

ゴミ一つ、ホコリ一つないようなきれいに掃除された整然とした空間で禅(瞑想)をするということは、自らの身を守り、瞑想を深めるためにもとても大切なようですね。と、言いつつ、パソコンから目を離して、我が身の周りを見渡してみると、いや〜〜 なんと、人に偉そうなことが言えるような部屋の状況ではありませんでした。今から、掃除しましょうね。

自分たちが住んでいる部屋をきれいにすることは、ただ単に、見た目が良くなったということだけでなく、実は、結界の安定度に繋がるんですね。ということで、今年の暮れは、大掃除に精が出るかもしれませんよね〜

蚊帳を張るように、意図的に、この部屋に結界を張ります。あの部屋にも結界を貼ります。というようなことも実際に可能ですが、しかし、この気の学校というインターネット上で、それを、どう、文章でお伝えしてよいのか、よく分からないので、更に深いことに興味がありましたら、一度、群馬(癒しクリエーション)にお越しいただいて直接気功を受けてみて下さい。ちなみに、癒しクリエーションの施術室には「結界」というものが張ってありますよ。敏感な方だと、この場の雰囲気なんとなく違うね。とわかって頂けるかも・・・



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