「気づき」といっても、いろいろな気づきがあります。
体への気づきから、精神的な気づきなど、まずは「体への気づき」を紹介します。
体への気づき
★ 病気にあること自体には悪い要素ばかりが秘めているわけではありません。その人自身の病気に対する受け入れ方にもよりますが、手遅れにならない程度なら、いろいろなことを教えてくれるありがたいメッセージにもなるのですが・・・
★ 最近よく突然死という言葉を耳にします。また、末期ガンという言葉もそうです。医学的にみて、これら二つは別々の病気ですが、でも、どこか似ていると思いませんか?
そうです。どちらも手遅れという点において共通しているのです。 では、どうして、自分の体であるのに、手遅れになるまで気づけなかったのでしょうか。 世の中では病気そのものが問われますが・・・
ここで問題としているのは、病気云々というよりも、病気で手遅れになるまでそれに気づけないでいる「感覚の鈍さ」です。
私達の住んでいる社会は忙しすぎるのでしょうか。
いつも心が何かに追われ、自分の体の内側で何が起きているのか、気づく暇さえありません。
ですから、突然死のように死ぬ直前まで自分の体の不調にも気づくことができず、もくもくと働きつづけてしまうのでしょう。
たぶん、当然死として亡くなるまでに、また、手遅れだったという前に、その方自身の元にはたくさんのそれらしき兆候があったはすですが・・・
ここへの気づきが大切です。
体のことは体自身が気づく
仮に悪いものを食べてしまったとしましょう。
つゆ時期など、食べ物がすぐに腐ってしまうわけですが、ある人が自慢そうに言いました。
「私は多少、悪くなったものを食べても胃腸が丈夫だから、全然、なんともないんだよね〜」
自慢はいいけど、実はこれが危ないのです。
もともと体が敏感(真の健康)な人は、体に異常をきたすような異物が侵入してきたら、いち早くそれを察知して、それに対する反応を体自身が示すのです。
つまり、悪いものを食べたら数時間後には下痢をするなどして、毒素を体外へ排泄し、すぐまた元の状態に戻ります。しかし、体の感覚が鈍くなっていると違和感を感じませんから、それができないでいるのです。
体の敏感な人ですと突然死になる前に・・・
体がだるくて、だるくて、とても活動していられる状態ではなくなります。
「休みたいよ」という体の欲求には勝てないのです。ですから、命に差し障りのあるようなことにはならないですむのです。
頭で、「今、私は疲れているだろうから、休んだ方が良さそうだ・・・」なんてことは考えなくてもいいのです。
体の感覚が敏感であれば、たとえ病気になったとしても、初期の段階で体自身が自らの異常を察知し、悪い箇所があればそれを修正するなり、トラブルを意識に伝えてきます。この感覚が自然に起きたとき、真の意味において健康と言えるでしょう。病気をしないから健康ということではないのですよ。
体が敏感になるためには
■ 時々、身体に意識を向けてあげること
1日の終わりに、体の各部分に「ご苦労様」と語りかけてあげるだけでも身体は喜びます。
「心臓さんいつも休まず働いてくれてありがとう」
「肝臓さん、お酒を飲み過ぎてばかりで済みませんね」
と、こんな風に。
「このからだは俺の所有物だから、乱暴に扱おうと、粗末に扱おうと、誰にどうこう言われる筋合いはない」なんて思わないでくださいね。
本当は自分の身体といいながらも、それは天からの借り物なのですよ。
ここをしっかりわきまえて、身体に意識を向け、感謝の気持ちを伝えてください。そんなことをしているうちに、身体が本来の敏捷性を取り戻します。
■ あまり努力をしすぎないこと
努力を美徳とする傾向がこの社会にはありますが、その努力が仇となって身体を痛めてしまっている人をよく見かけます。怠け者もどうかな〜 とは思いますが、努力したくなる気持ちが起こる背景には、今ある状況を認めたくないという気持ちがあります。
今ある状況をどうにかしたい。という気持ちがあるからですが、しかし、内容によっては今ある状況を素直に認めることが物事の出発点になるようです。
今ある状況を素直に認めることは、あるがままということですが・・・
例えば身体が「疲れたから少し休みたいな〜」と言っているのに、意識が「いや、もっと頑張れるはずだから・・・」と、身体に反することを考えれば、身体からのささやきは無視されてしまい、その様なことが度重なると・・・
最終的には、この人には何を言っても無駄だから諦めようということになってしまいます。
■ 良く咬んで食事をすること
私たちは忙しさにかまけて、食べる事をおろそかにする傾向にあります。
しかし、本来食事とは、「空腹感を満たせばそれでよい」というようなものでなかったはずです。
「自分は大自然の計らいにより生かされている」ということを感じさせてくれる何かが食事という講にの中にはあるのです。
今の時代にこんなことを言うと笑われてしまいますが、人がものをいただくという行為には深い意味があるようです。せめて忙しい現代人である我々も、食事の時だけは、ゆっくりよく咬んで、よく味わっていただきたいものです。
そうすることによって自分の身体に何が必要なのか、身体自からが必要としている食べ物を、味覚で教えてもらえるようになります。必要なものは美味しいと感じ、不要なものは美味しいとは感じない。
ただこれだけのことです。極めて簡単です。これを続けてゆくうちに身体は自然と敏感になってゆきます。理屈はともあれ、実践してみてください。
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