苦しいことを自ら進んですることで、その行く末に、楽なことが待っているような、そんな思いで日々の行動をしていませんか?
目的を達成するためは苦しいことでも何でもする。
すなわち努力をすることですが、苦しと感じることを、辛いと感じていることを続けていて、その行く末に、本当の心地良さや安らぎの感触が待っているものなのでしょうか?
ところで、世の中はもうすぐ21世紀を迎えます。数字上、年代が1900から2000に変わるということだけでなく、そこには新しい時代に似合う新しい価値観や感覚が生まれ、意識改革的な風がふき始めるのではないかと期待しています。
そのような流れの中で、いま一度考えてみなければならいことは、本当に苦しい思いをしてまで、何かをする必要があるのかということです。
たとえば、苦しい思いをしてまで病気に立ち向かう必要があるのでしょうか?
病いから脱するために何かをすることを世間では闘病といいますが、本当に、病気から離れるためには病いと闘う必要があるのでしょうか?
闘うこと自体に意義を感じるというのでしたら、または、闘うことそのものに魅力を感じるというのでしたら、その時は、第三者の私が申し上げることは何もありませんが・・・
ただ、病気から開放されることだけを望んでいるのであれば、無理に苦しい思いをしてまで、病と闘わなくても、何か別の道がありそうな気がするのですが・・・?
病気とは、ただ単に厄介な存在なの?
病気とは、我々の宿敵なの?
病気とは、一体、何んですか?
突然ですが・・・ もしもあなたが、ガンになったらどうしますか? 手術を受けますか? それとも、抗ガン剤ですか? いや、それとも・・・? 最新医療の立場からすれば、どちらもお薦めの一品です。
確かに、その効果は絶大でしょう。 でも、そこには苦痛が伴う。 後遺症が残る。 副作用が現れる。 など、
病気に退散していただくために、どれもこれも皆、多少の犠牲が伴います。
自らの命の幾分かを切り刻んで病気に捧げ、その代わりに健康をいただくような、そんな雰囲気がしますけど。
抗ガン剤を使用すると髪が抜けてしまうと言われますが、この、髪が抜けてしまうことがどのようなことを意味するのか、皆さんは考えたことがありますか?
東洋医学的視点からすると、短期間にすべての髪が抜けてしまうという現象は、生命力が急激に落ち込んでしまったときに起こる症状として捉えているようです。
そうですね。 抗ガン剤は、体の中にあるガン細胞を消滅するための、いわば核兵器的存在なのです。
ですから、もちろん敵(?)であるガン細胞も木っ端微塵に破壊しますが、その影響はガン細胞だけに止まらず、我々の命を支える一つひとつの肉体細胞にまで及ぶこと確実です。その結果が、髪が短期間に抜けてしまうという現象につながるのではないでしょうか。
私はまだ抗ガン剤を使用した経験がありませんから、それを使用したときの本当の苦しさ、つらさを知りませんが、それを体験した人達から聞くところよれば、その治療を受けている間は非常に苦しいということでした。
そして、その苦痛は抗ガン剤治療が終わってからも継続し、いつまで経っても自分の体が自分の体ではないような、そんな感じがするということを話していた人もおりました。
そんな話を聞くと私なら・・・
楽な方へ楽な方へと、快な方へ快な方へと歩み寄ってゆきさえすれば、つまり、体が欲している方向へ素直に進んでゆきさえすれば、そこには体が本当に喜ぶ場所、すなわち、健康があるような気がします。
自然治癒力は、如何なる時に一番働きやすいのでしょうか?
体が苦痛を感じている時に、充分に働くものなのでしょうか?
最近の傾向として、自然治癒力を高めて健康を回復しようとする、免疫療法が盛んになってきました。これは非常に喜ばしいことで、そのような考え方の医療がこれからの時代の主流になってゆくといいですね。
逆転の発想ではありませが、苦しいことを我慢してまで続けるというのではなく、身体が喜ぶこと、身体が心地良く感じることをしてみては如何でしょうか。
身体自身は自からが、「どうすれば病気から開放されるのか」を知っています。
何も分かっていないのは、むしろ、文明を築きあげた頭脳です。
頭でいろいろ考えるから、身体が素直に喜んでくれそうなこと、すなわち健康への方向性が見えなくなってしまうのではないでしょうか。
まとめ
健康 イコール 心地良さ
健康を求めているということは心地よさを求めているということなのです。
苦しさのあとに健康があるというのも不思議な話ですね。
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