私達は自分の体に対して、どれだけ気づいているでしょうか? 体の各部位の感じがどうなのか、例えば、今の自分の頭の感じ、喉の感じ、胸の感じ、心臓、お腹、手足の感じなどに、細かい注意がゆき届いて、その感覚が自覚できていますか?
たいていの人はこれに気を止めているわけではありません。周りの様子に気をとらわれて、体の感覚に注意している人は、まず居ないでしょう。体のどこかが特別に痛かったり、だるかったり、熱があったときだけ、その感じを訴えますが、普段の健康状態のときに、いちいち注意することはまずないでしょう。
しかし、心地よい健康を維持しようと思ったら、自分の体が、今、どのような状態になっているのかを正確に察知しなけらばなりません。いわゆる身体感覚を鋭敏にしなければなりません。
そこで今日は皆さんに、身体感覚を鋭敏にするための具体的な練習方法をご紹介します。
普段やったことがないので最初は難しかったり、要領がつかめなかったり、戸惑いがあったりするのでうまくできないかもしれません。しかし、そこは練習ですので、繰り返し、繰り返しやってみる必要があります。
さて、今の自分の体の感じに気づくためには、当然そこに注意を注がなければなりませんが、その際、心の持ち方にちょっとした要領があります。
これを一言でいいますと、ありのままに素直に感じ続けるということになります。
例えば、
お腹に注意をしてその感じを自覚するのに、何となく重苦しく感じたとして、心がこうつぶやいたとします。
「いったいこれはどうしたことだろう」
「普段、まったく感じなかったものが、このような練習をしてでてきたのかしら・・・」 「これ以上、嫌なことが起こらなければいいのだがな〜」 「それにしても特別注意をしてそうなったということは、自分の感じ方が悪いのかな〜」 「神経過敏になったのかな〜」 「普通のように感じるのは、どうすればよいのだろうか???」 「早くこの嫌な感じを取り去って楽になりたいな〜」 こんな風に思ったとします。
この思いはありのままに素直に感じ続けるという事にはならないのです。
- 感じ方が間違っているのかな〜 という疑問
- 楽になりたいな〜 という願望
- どうすれば良いのかな〜 という追求
そこから努力が生まれ、それが達成されないと焦りが出てきて、イライラに変わったりします。
これがこだわりです。
欲求や願望など、何かの意図があり、それらの実現を予想してやる注意の仕方を作為的、能動的な注意といいます。あるがままに素直に感じ続けることとは正反対の注意の注ぎ方です。
こだわるのは良くないよ。と言われますが、それはこのような欲求や願望が元となってストレスが生まれ、結果として心身に悪影響を及ぼすことになるからでしょう。
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あるがままに素直に感じ続けるということは、先程の作為的、能動的な注意とは全然、注意の異なる仕方です。
重苦しかったら、その感じを素直に感じれば良いのです。この感じ方を受動的な注意の仕方と言います。
例えをお話ししますと、ここに受け皿があって、いろいろな色の液体が注がれるとしましょう。その時、大切なことは、注ぎ込まれる液体を選ばないことです。きれいなのは良いが汚いのは嫌だ。とか、香がどう・・・。色がどう・・・。などと、問うたり選んだりしないことです。
どんな液体でも注がれたらそれはそれで良いですから、徹底的に受け身になって、ただただ注がれれるままに受け入れてください。同じように体から意識に注がれる感じをただただ注がれるまま、ありのままに素直に受け入れることを受動的注意の仕方というのです。
それからもう一つ大切なことがあります。それは今、感じている内容を口に出すことはもちろん、心の中にでもそれを言葉に表さないということです。
重苦しいとか、痛いとか、痒いとか、熱っぽいとか、あるいは、気持ちがいい、爽やかだなどと、言葉では表さないことです。
と言いますのは、言葉で表現してしまいますと、その言葉通りに物事が定義されてしまいます。その結果、言葉通りの事態が定着し、固定化されてしまい、本来の自由な動きが殺されてしまうからです。
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本来、体が持っている自然治癒力とか、免疫力が発動できなくなり、ひいては、健康を失うことになります。言葉がものを作り出す働きを持っているといわれるのは、この事情のことを言うのでしょう。
マイナスの言葉が言われますと、そういう事態が現実化される傾向にありますし、反対にプラスの言葉はそれにふさわしい現象を作り出すでしょうから・・・
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普通の場合では、どうっていうことのない感じがほとんどで、従って言葉で表現できないことの方が多いかもしれません。
それはそれでいいですから、無理に言葉を探したり、置き換えないでください。
ともかく言葉なく、あるがまま素直に感じ続けることがポイントです。
以上、二つの点、体の各部位の感じを素直に感じること、そして、感じたことを言葉に置き換えないことを守って練習してみましょう。
これがうまくできるようになりますと、自分では全然意識しないのに自動的にストレスとか、緊張がどんどん外に出てゆくことに気がついてビックリすることでしょう。
では、具体的な練習に入りましょう。
練習する場合の姿勢ですが、どんな姿勢でも構いません。一番楽な姿勢をとってください。きついネクタイとかベルトとか、締め付けるものはゆるめた方が良いでしょう。
腕時計も外した方が良いでしょう。
同じ姿勢を長時間とり続ける必要はありません。
疲れてきたら自由に体を動かして、楽なように体位を変えてください。
部屋は静かな場所が良いでしょう。
練習に慣れてきてその要領が分かってくると、電車の中とか、人が居たりする場所ででもできるようになりますが、やはり最初のうちは静かな居心地良い場所を選んだ方がよいでしょう。
(1)リラックスできそうな姿勢をとり、まずは左足全体に注意して その感じを自覚してください。
足全体を心の眼で眺めてください。そして、その感じを感じてください。
例えば、足の付け根から膝の間までの脚の感じ、ももの感じ、膝の感じ、ふくらはぎの感じ、すねの感じ、足首の感じ、脚の指の感じと、上から順序よく感じてみましょう。
または、高い山から遙か下界を眺めるように、特にどこと指定しないで全体を眺めるといったように、足全体を眺めるように感じてみても結構です。
その感じをあるがままに、言葉なしで感じ続けます。
そうするとあなたの意志に関係なく、確実に足の緊張やストレスが解きほぐれてゆくでしょう。
では、始めてください。(約1分間)
(2)今度は右足全体を(1)の要領で観察(約1分間)
(3)今度は左手全体を同じ要領で観察(約1分間)
(4)今度は右手全体を同じ要領で観察(約1分間)
(1)から(4)までは毎回のトレーニングにおいて必ず行います。四つ全部が終わりましたら、次は(もし時間が許せば)先程と同じ要領で、自分の好きなように、体の各部位に意識を向けてその感じを感じ続けます。
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例えば、一日中仕事でキーボードを打ち続けたので肩が凝ったとしましょう。
その場合には手足の観察が一通り終了した時点で、凝りに凝って不愉快に感じる肩に意識を向けて、その感じを感じ続けてみてください。
このとき大切なことは、楽になるようにという目的意識を持って肩を観察するということではありません。
先程、不愉快な箇所は感じ続けているとストレスが取り除かれ、緊張がほぐれると申しましたので、そうならなければならないのだと思いながら肩を観察したり、そうなるようにしむけるように意図的に肩を観察したり・・・
これらは、作為的、能動的な注意の仕方になりますから、そうならないらないようにすることがポイントです。
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緊張がほぐれ、肩が楽になるのはあくまで結果であって、もし仮に、そうならなくてもそれはそれで良いのです。
そんなことを心がけながら、 自分なりの身体感覚を育ててください。
慣れてくれば、(1)から(4)までを規則正しく練習しなくても、トイレに入りながらいきなりお腹に意識を向けてその感じを感じてみるとか、食事をしながら口の中に入っている食べ物の味を感じてみるとか、その場に応じた題材であるがままに感じ続ける練習ができるようになります。
体(肉体)を上手に観察できるようになると、次は、感情を観たり、心の動きを観察したり・・・
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