気づきの道は・・・ 今まで私達が何気なく歩んできた道のりとは少し趣が異なるようです。
物事にはすべて手順というものがありますから、その手順通りに物事を行ないさえすればそれに見合う結果が誰でも必ず出せるということになります。
しかし残念ながら、気づきに関する限り、その公式が当てはまりません。
「これをこうやって・・、ここをこうすれば・・、結果は必ずこうなる」という誰にでも共通する
確実な公式 がないのです。
そのためにせっかく気づきに興味を持たれても、何から手をつけて良いものやら分からないということになり、気づきのすばらしさを肌身に感じていても、気づきそのもののと出会うことはなかなか難しいようです。
けれども、「これをこうすれば結果は必ずこうなる」という 確実な公式 がないにしても、宇宙には、気づきをサポートしようとする秩序があります。この方向性へ歩んでゆけば、気づきが起こりやすくなりますよ。逆に、この方向性へはあまり立ち寄らない方が無難ですよ。
と、気づきそのものを導こうとする自然の流れのようなものがあるのです。
その流れにうまく乗せてもらうことが、気づきと出会う唯一の近道です。
いや、近道というよりは、ただ流れの中に身を任せるという感じですから、何かを獲得するために一生懸命に何かをするというような感覚ではありませんから、いわゆるトレーニングや修行のような雰囲気のものではありませんが・・・
ここが今まで積み重ねてきた物事達成のアプローチの仕方とは大きく違う点です。
「見てください。これが修行の賜物ですよ」
一時期、世間を大いに騒がせた某教祖の空中浮遊とは、努力の限りを尽くしたものでしたが・・・ 注)彼はこれにより沢山の信奉者を集めたという経緯がありました。
気づきは、たとえ空中浮遊ができたとしても、その人に訪れるとは限りません。
努力には限界があり、時には人を、彼のように独りよがりの世界に陥れてしまう危険性すらあるようです。
トレーニングや修行といわれるものは皆、努力を伴うものばかりですから、ふと気がつくと「俺はこれだけの事をしているんだ」という変な自尊心や、ときには傲慢になってしまい、謙虚さが失われてしまったり、何よりも、気づきの原点である流れそのものをせき止めてしまう恐れがあるようです。
気づきが起こる背景には、自分以外の人であったり、樹木や海や星や雲などの自然物であったり、ダイヤモンドや水晶などの鉱物であったり、誰かしら何かしらのサポートを必要 としますから、それらのサポートを受けやすくなるためにも、とにかく謙虚になり、自分以外の存在を敬い尊ぶ気持ちが大切になります。
しかし、残念ながら、私達には長い生活習慣のなかで、その気づきが起こりやすくなる「流れそのもの」をせき止めてしまう良くない「心の癖」をたくさん身に染み込ませているようです。
ですから、物事の原点と出会えるような深い気づきを得るためには、その一つひとつの心の癖にも気づく必要があり、そして、その癖が修正されないと、いつまで経っても何も変わらないということになってしまうのです。
どうやら、気づきへのスタートラインはこの辺に・・・
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