がむしゃらに一生懸命に努力して、そして、何かしらの気づきを得るという場合があるかもしれませんが・・・
その時でさえ、あなたがその事実を認めようと認めまいと、そこには何かしら、誰かしらの気づきのサポートがあなたに注がれたという経緯があります。
ところで、今までにキャッチボールをしたことがありますか? それとも、誰かがキャッチボールしているのを見たことがありますか? そうですね。キャッチボールには相手が必要です。
■ もし仮に、ひねくれ者さんならどうでしょう。
- 「俺は独りでもキャッチボールが出来る・・・」と壁に向かってボールを投げ、跳ね返ってきたボールを再び壁に・・・
ちょっと寂しいような気がしますが、これもキャッチボールには違いありませんが、しかし、よくよく考えてみると相手が人ではないだけのことで、「壁」という立派な相手とキャッチボールをしているではありませんか。
■ もし仮に、もっと、もっと、ひねくれ者さんなら・・
- 「俺は壁も使わないよ。でも独りでキャッチボールができるんだ!」
偉そうに、空高くボールを放り投げました。 ちょっぴり寂しい気がしますが、彼の相手は目に見える人や物体ではなくなりましたが・・・ でも、重力という立派なパートナーが文句も言わずに、彼の相手をしてくれているではありませんか。
所詮、どんなにへそを曲げてみても、独りでは生きてゆけないのがこの世の常です。
それが宇宙の仕組みです。
★★★ 気づきのサポート ★★★
★「自らの努力で気づきを起こすんだ!」という強い気持ちがありましたら、その考えを捨てた方がよさそうです。
★ もし仮に、あなたに何かの気づきが起きたとしたら、その気づきが自分の努力によるものだとは、思わない方がよさそうです。
なぜでしょうか?
あなたに気づきが起きたとき、その気づきは「あなたの努力によって起きた」というよりも、あなたの元へ気づきのメッセージを届けてくれた、ありがたい存在がいてくれたからだです。
でも・・・ 待っているだけではダメなのがキャッチボール 気づきの世界も同じです。
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気づきはキャッチボールとよく似ています。受け取ったら投げ返す動作が必要です。ただ、受け取るだけではダメなのです。もちろん、ただ投げるだけでも成り立ちません。このように、気づきには発信することと受信することの二つの要素が必要です。そのどちらか一方が欠けても気づきは起こりません。
■ 受信するとは・・・
- あなたがあることに気づいたというその瞬間は、それは、誰かしら、何かしらの自分以外の存在があなたへ気づきの情報を波動として送ってくれていたからなのです。あなたはただそれを受信しただけなのです。
■ では、発信するとは・・・
- この続きは 気づきのメカニズム. part.2をご覧ください。
さあ、気づきが訪れてくれるような自分になりましょう。
気づきを心地よく迎えるための準備をしましょう。
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気
づ き の メ カ ニ ズ ム part.2
気づきをもっと観察してみると、part.1でふれたように、気づきはキャッチボールと同じ原理から成り立つのではないということが分かります。ラジオを例に気づきのメカニズムについて考えてみましょう。
ラジオは純粋な受信装置なのでしょうか?
ラジオ放送を聞くときのラジオ電波は放送局から私達のラジオへと送られてきます。その電波をラジオが受け取ることによりステキな音楽を聴くことができるのですから、ラジオ局が発信元(送り手)、そして、ラジオは受信側(受け手)ということになりそうですが・・・
しかし、ラジオのメカニズムを勉強してゆくと、ラジオも単なる受け手としての受信装置ではなかったことが分かります。
ラジオ局側が発信する電波と同じ周波数の電波を、ラジオ自体も外部に向かって極微量ではありますが発信していたのです。
同じ周波数のもの同士は同調しあうという性質がありますから、そこに共鳴現象が起こり、同じリズムで振動するなかで、ラジオ局からの情報がラジオ本体に伝えられていたのです。
キャッチボールは、投げることと、受け取ることの動作が同時にはおこなわれませんが、ラジオ放送が聴ける背景には、ラジオ自らが、受信と、発信との両方を同時に行うという不思議な現象(共鳴現象)の中で成り立っていました。
これと同じことが、気づきにも起こります。
気づきも共鳴現象により成り立ちますから、投げる行為と受ける行為が同時に行われます。ですから、気づきを期待して単なる受け手として構えているだけでは、なかなか気づきは起こらないということになります。自らも何かを発信しなければならないのですね。
聖なる人、イエス、キリストはこう述べています。
「求めれば与えられる」
「そうか、求めればあらえられるのか〜」
「そんなものなのか〜 うん〜」
● 気づきたいという気持ちがなくても、何かに気づくことがあるかもしれません。しかし、それは稀なことであり・・ いやいや、そんなことはないような気がしますよ。求める気持ちがあるからこそ、気づきが得られる。
これが宇宙の法則のようです。
● 偶然に気づきがやってきたように思える場合でも、その背景には、あることに気づきたいな〜という切なる願いをもった自分が、あなたには自覚できない心の奥深く(潜在意識の領域)に潜在しているようです。
そのために、あなたが表面意識は求めていない病気やさまざまなトラブルであっても、あなたの深い意識がそのものから何をを学びたいと望む場合には、それがあなたの目の前に起こり、それを題材として深い気づきに出会わされるように仕組まれているようです。
嫌でも病気がやってくる背景には、大宇宙の大いなる意識の計らいがあるみたいですよ。
● 気づきのすばらしさを理解できたら、次には、何に気づきたいのかを明確に知り、それを積極的に求めてゆかれますと、その気づきが身近なものとなります。
● 決して急ぐことはありませんが、限られた一生の中で、何をどれだけ気づけたのか、気づけた分だけ、気づきの深さだけ、人は成長するみたいです。
求めれば与えられるのです。
逆に、求めなけれが何も与えられないのです。
そうだとしたら、あなたは何を求めますか?
お金ですか?
名誉ですか?
それとも、深い気づきですか?
具体的には、何に気づきたいのかを明確する そして、その思いを宇宙の果てに向かい発信するのです
例えば 「この病気は私に何を教えてくれているのですか?」 と、宇宙の彼方に向かって尋ねてみてください
後は、ただただ待つのみです
きっと、宇宙の彼方から その回答がやって返って来る瞬間が起こるでしょう それが宇宙の秩序です
でも、気づきは
求める思いだけが強すぎても、なかなかやって来ません また、何もせずにただ待ってるだけでも、なかなか・・・ 求める事と待つ事のバランスが大切なのです
つまり、共鳴現象が起こる条件が必要なのです
求めることと、待つことの その二つのバランスがうまくとれたとき そこに共鳴現象が起こり・・・ あなた自身と求めている回答とが共鳴しあい やがて、一つとなるのです。
気づきは物事の原点との出会いです。
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