NO.35 残存エネルギー

 
私の知り合いのところへ、ある中学生が相談に行ったそうです。
その中学生の悩みは、身体の病気ではなく、心の病気だったそうです。
 
スーパーマーケットに入ると、どうしてだか分からないのですが、盗みたくなってしまって、品物を万引きしてしまうとのことでした。
 
その方の家は、裕福で、とても、とても、他人のものを盗まなくても充分に暮らしてゆけるとのことです。
 
生活苦から・・・、ということでしたら、まだ、本人も納得するのでしょうが、自分の意思とは関係のないところで、何かが自分自身をつき動かすように、盗みたいという衝動に駆られてしまうそうです。
 
その瞬間には、お財布には、その品物を買うだけのお金をもっているので、その品物自体が欲しいということであれば、お金を支払ってしなものを受け取ってくれば良いのでしょうが? それができないようです。お金を払って、品物をもらってきたのでは、何かが満足できないんだそうです。
 
万引きするときのスリルを味わいたい。との理由から、万引きをする人がいるということは、以前、テレビで見たことがありましたが、その方の場合、万引きのスリルを味わっているという感じでもないということでした。
 
本人にしては、堪りませんよね。
悪いことだから、それは絶対にしてはいけない! と心の中では分かり切っていても、自分の思いとは裏腹に、もう一人の自分が自分自身の中にいて、望んでもいないことをしてしまっている。みなさんも、ご自分が、このような状況下に置かれてしまったと想像してみてください。それは、もう、大変なことです。
 
自己嫌悪にも陥ることでしょうし、自分自身のことが、まったく、信じられなくなってしまいますし、何を信じてよいものやら・・・
 
タバコを吸ったことのない私ですから、禁煙の苦しさを知る由もありませんが、ただ、禁煙をして失敗された方からのご意見を伺うと・・・
 
 
「タバコは身体に害があるから、もう、止めよう!」と誓ったその瞬間から、「タバコが吸いたくて、吸いたくて、挙げ句の果てには、吸ってしまった!」
「ああ、何とも、情けない自分だ」
「何で、こんなにも意志が弱いんだろう!」
・・・というような声を。
 
気楽な人なら、このくらいで済んでしまうことでも、何事にも真剣に物事を捉えてしまう方だと・・・
 
「ああ、自分が信じられなくなってしまった!」という自分自身への不信感は相当なものとなり、心の底に、不安の元となって定着します。
 
自分は何をやっても、ダメなのかもしれない! というような思いを持ってしまうきっかけにもなりかねません。
 
先の例のように、万引きをするという行動は特殊なことかもしれませんが、私たちは、大なり小なり、似たような行動パターンの中で、自分自身を傷つけ、ときには、もがいたり、大きく打ちのめされたりしています。
 
最終的には、自分自身の可能性を縮め、小さな枠の中に、自分自身を押し込めてしまいます。さて、万引きでお悩みの方(A さん)の場合、私の知り合い(Bさん)がどう、対処されたのかと申しますと・・・
 
A さんからの相談を伺い、Bさんは、フッと直感的に感じたことがあったそうです。
ただ、直感というものは、間違いがあるかもしれないということで、それを確かめてもらうために、A さんに、自分の家に帰ってもらって、あることを確認してくるように伝えたそうです。
 
その内容とは・・・
A さんが誕生したときには、すでにあの世へ旅立たれていた「A さんのおじいさん」のことを、どのような人だったのか、聞いてきて欲しいとのことでした。
 
翌日、母親が、娘と一緒に、Bさんのところへ尋ねてきました。
ちょっと、子供には説明しにくい内容なので、母親が直接、Bさんに伝えたいとのことでした。
 
お母さん曰く・・・
主人のお父さん、つまり、娘からするとおじいちゃんに当たる人は、とても、とても、たいへんな人で、他人のことなどまったく考えない人で、自分勝手のやりほうだい、なかでも、異性(女性)にはたいへんこまった方で、たくさんの妾さんをつくって、おばあちゃんには、ずいぶんと苦労をかけていましたよ。とのことでした。
 
知り合いのBさんは、やっぱりな~と思ったそうです。
A さんの盗みたいという衝動は、まさしく、おじいちゃんが生前に残した心の影響であったようです。
 
おじいちゃんには、ちゃんと、奥さんが居るというのに、まだ、もの足りないからと言って、別のところに女性をつくること、今流に言えば、不倫ですが、このような行動の背景には、仏教でいう貪り(むさぼり)の気持があります。
 
本当は、もう、満ち足りているのに
まだ、まだ、足りない。
もっと、欲しい。
もっと、もっと、欲しい。
という貪りのエネルギーに支配されているようです。
 
本人自らが、そのエネルギーに気づいて、そのエネルギーを止めることは、まさに、まさに、至難の技ですから、通常は、そのエネルギーの赴くままにと行動してしまいますので、因果の法に従って、更に、更に莫大な貪りのエネルギーを生み出す結果となってしまい、挙げ句の果てには、莫大な遺産(残存エネルギー)をこの世に残して、あの世に旅立つことになってしまったようです。
 
知り合いのBさんは、なぜ、娘さんがそうなったのかの「因果関係」を、お母さんに一通りお話しして、そして、その貪りのエネルギーを処理したそうです。
 
それ以来、A さんは、憑き物がとれたように、普通の女の子に戻ったそうです。
それからは、まったく、盗みたいという衝動は起こらなくなったそうです。
本人と、お母さんは不思議なことがあるもんだな~~と、思ったようですよ。
 
このような事とは無縁に暮らしている私達ではありますが、実は、多くの人が、この相談者のように、似たり寄ったりの状態に置かれているようですよ。脅かすようでご免なさい。
ただ、すべての原因が先祖にあるということではありませんから、今現在の自分自身の状態が思わしくないからと言って、何でも、ご先祖さまのせいにするのはよくないと思いますが・・・
 
私自身も毎日、他人さまの相談を受けている立場にいますが、このようなことは良くある内容だと思いました。
 
残存エネルギーと言っても、ほとんどの場合には、自分自身が過去に作り出しているものです。
たとえば、禁煙に失敗して
自分自身はダメな人間だ!
意志の弱い人間だ!
・・と、
 
自分自身のことを悪く思っているだけでも、その思いのエネルギーは、その人自身の意識の深いところに、どんどん貯まってしまいます。貯金なら、いくら貯まっても嬉しい限りですが、不幸の種は、避けたいですよ。
 
Aさんの場合には、近所に「それ」を処理してくださる方がいましたから救われましたが、誰もが、そのような方とお知り合いということでもありませんし、もし仮に、自分自身は残存エネルギーの影響を受けているかもしれないな~~ と感じたとしたら・・・
 
宣伝となって恐縮ですが、癒しクリエーションにご相談を頂くか(苦笑)
それとも、自分自身の努力で、そのエネルギーを処理して下さい。
 
じゃあ、どうやって、自分自身でやるのですか? と、必ず、ご質問を受けるので、始めに、お答えしちゃいますが・・・
 
「ああ、耳にタコができそうだよ」なんて、言わないで下さいね。
 
同じことの繰り返しで申しわけありません。気づきの瞑想、慈悲の瞑想を実践されていると、不思議なことに「残存エネルギー」も処理されてゆくみたいです~~ 理由はどうなのか、よく分かりません。
 
本当かな? という気がしますが、でも実際にやってみると、なんとなく、楽になってきたな~~ と感じて頂けるかもしれません。(上記の瞑想以外にも、他にもいろいろと方法はあります。また、機会がありましたら、ご紹介させて頂きます)
 
先日、ある方から、瞑想の結果について、お便りを頂きましたので、ご紹介させて頂きます。(タバコを吸いたい。タバコを吸いたい。という残存エネルギーが消えた例です)
 
カショウとは、私のニックネームです。余談ですが、地元では、迦葉治療院(カショウチリョウイン)という名称で、平成元年に、治療院を開業しました。今は癒しクリエーションです。では、以下、お便りをそのまま引用します。
 
先日、カショウさんから、気づきの瞑想で、煙草を止めた方のお話しを、ご紹介して頂きましたが、実は私も相当のヘビースモーカーでして、吸い始めて14年、毎日、30本は吸ってました。
 
「酒と煙草、どちらか一つ、止めなきゃいけないなら、どっち?」
との問いに、迷わず「酒!」というぐらい、煙草に依存してました。
今まで、禁煙を試みたこともなく、まして、意志も弱いし・・・。
 
ところが、気づきの瞑想をやってみて、きっぱり止めてしまいました。
瞑想しながら「煙草、止め!」そう一度だけ心に念じただけでした。
吸う気が起きなくなちゃった。
 
多少はイライラしたり、苦しいだろうなと覚悟はしてましたが、全然・・・。難しい話は分かりませんけど、煙草が吸いたくなるのは、喫煙が習慣化した脳が欲しがっているのですよね?
 
だとすれば、瞑想は脳を本来の信号に修正してくれるのでしょうか?しかも一瞬で。
元々、生きていくのに必要の無いものですからね。
止められて良かったです。