NO.95 ただ、ただ、静かに 

 けましておめでとうございます。
明けましておめでとうございます
今年もよろしくお願い申し上げます   スタッフ 一同より



2021年、どんな年になるんでしょうね〜〜
 
まずは、この場へお越し頂いた気の学校のご愛読者様へ
ご無沙汰しておりますが、我々スタッフ一同、お陰様で、皆、元気です。
ありがとうございます。
 
我々夫婦からの年賀状、この場で、ご紹介したいと思います。
知人宛用に作った年賀ハガキですが、原盤(データー)ごと、そのまま貼り付けます。
 
ただ ただ 静かに」というよりは、
ただ ただ でかい牛」という感じになってしまいました.

 

フッと思ったのですが、今年度、我々夫婦は二人の年を足すと、ちょうど120才になってしまいます。冬の時期はモーグルスキーでコブ(凸凹斜面)なんか、やっちゃったりして、気分はまだまだ30台のつもりなんですが・・・
 
家内もゴロン、ゴロン、と派手に転がりながらも、ゲレンデ(スキー場)で奮闘していますよ。彼女はコブ(凸凹斜面)はやりませんが、努力の結果、一般スキーヤーのレベルですが、だいぶ、上達したみたいですよ(笑)
 
そういえば、知らぬ間に、二人共、年をとりましたね〜 お互いに、相手の顔を近くで見ると、声に出しては言えませんが、「顔のシワ、増えてますよね〜〜」 「嫌な話ですね〜」 「でも、仕方がないですかね〜 こればかりは・・・」 
 
さて、前回の気の学校では、漏尽通について、お伝えしましたが、今回も、前回の続きのような内容になってしまうのですが、「内なる静けさ」って、とっても大切なので、再度、お付き合い頂ければ幸いです。


ただ ただ 静かに」なること
簡単そうにみえて、なかなか、難しいですよね〜
静かになろうと思っても、次から、次へと、「想い(雑念)」がやって来てしまいます。
 
天井から、ポタ〜ン ポタ〜ン と、雨水が漏れて垂れてくるように、
雑念が、ポタ〜ン ポタ〜ン と、漏れてしまい、尽きる事(漏尽)は至難の業です。

そう、なろうと、思っても、なかなか、なれませんし、
いや、そうなろうと「思った」時点で、
もう、すでに、そうなろうという「想い」が発生してしまうわけですよね。

そう、なろうと思った瞬間に、もう、そう、なれていない。
だったら、どうすれば、いいのかな〜〜?

自分自身の内側(内面)が静かになること、すなわち、心(マインド)の活動が、徐々に徐々に静まってきて、最終的には、マインド(心)が、一次的に、動きを停止して、一切の想いがやって来なくなって・・・

エッ、それって、仏教で言う「無心」の境地?

そこまでの境地に達するのは、我々凡人には至難の業かもしれませんが、そこまでには至らないまでも、徐々に、徐々に、心が静かになってくれば・・・

たとえばですが、怒りの感情が沸き立っている時は、海に例えると、大型の台風がやってきて、海が「大荒れ」の状態です。

熟練サーファーはビックな波が好きだと思うのですが、でも、台風の時は、もちろん、サーフィンはやりませんよね。手の付けようがない程の「大波」「荒波」ということなんでしょうね。


心(マインド)が動くと、それに相応しい「波」を、発生させます。
 

 
上のイラストでは、左端が発信地点(出発点)だと思って下さい。
心が動き始めた瞬間です。つまり、想いが沸き立った瞬間です。
 
時間の経過と供に、右側へ移行するとイメージして頂くと、徐々に徐々に「想念の波」が宇宙全体に広がっています。

たとえば、テレビやラジオの電波が発信基地から、放射線状に、あらゆる方向へ、放射されるように。(こんなイメージですかね?)
 


その際、
怒りの感情が沸き起こっている時は、怒りの感情に相応しい波の形を
不安な感情で、気持ちが一杯の時は、不安な感情に相応しい波の形を
喜びの感情で、気持ちが一杯の時は、喜びの感情に相応しい波の形を

たとえば、心が穏やかな時は、こんな形の波(心の波)であったり

 
たとえば、心配事で悩んでいる時は、こんな形の波(心の波)であったり


いずれにしても、思ったり、感情が沸き起こってきている時、我々の心はさまざまな形の「波(波動)」を発生させています。というイメージを持って頂ければ、一応、私の文章力は、人並み程度なんですけどね〜〜

でも、もしも、ここまで読んできて、「あなた(小野)の言っている事(文章)って、よく分からないな〜〜?」という事ですと、たぶん、学生時代に、学校で、まじめに勉強してこなかった、私自身の負債の現れなのかもしれません。
 
まさに、ト ホ ホ ホ ホ 〜 〜 の心境です!
 
マインドが静かになってゆくに連れて、その人自身のマインドから発している「波」も穏やかになってゆきます。
 
では、なんで、人のマインドから発生する「波」が、穏やかな方が良いのか?
 
たとえばですが、

もしもですよ。このような波形の波が、あなた自身のマインドから発せられているとしたら・・・?
 
いや〜〜 見るからに、ヤバそうですよ。
トゲトゲしていて、調和している感じはしないし・・・
 
ラジオも、テレビも、携帯電話も、すべてが、電波(波)を受け取ることで成り立っていますが、もしもですよ、あなた自身のマインドから、上記のイラストのような粗い波が発生しているとしたら・・・?
 
波(電波)の性質としては、理科の授業中、音叉の実験で、波長が同じもの同士だと、共鳴現象を起こすという事を過去に学ばれた方もいらっしゃるのではないかと思いますが・・・

 もしも、まだでしたら、以下のサイトはお薦めです。
 https://www.youtube.com/watch?v=rI72BY_0rLg

 
粗い波動を自らからが発していたら、粗い波動の周波数と共鳴現象を起こしてしまい、その結果として、さまざまなマイナス現象、たとえば、病気とか、トラブルなどなどを引き寄せてしまいます。
 
いやいや、いや〜
怖い話ではあるのですが、避けては通れない事実なのではないかと思えます。
 
という事はですね〜〜
内なる静けさを求めて、自分自身の内側が、「ただ ただ 静かに」の方向へ向かってゆくということは、不幸な出来事と、波長が合わなくなってくる。ということになるのではないでしょうか?
 
私個人の見解としては、仏教でいう「悪い現象」を引き起こす「悪い因縁(原因)」の正体とは、自らのマインド(顕在意識 & 潜在意識)が発している「粗い波」ということになるわけです。
 
この「粗い波」を鎮めて、「穏やな波」になりましょう。
そうすれば、必ず幸せになれますよ。
というのが、ブッタの教えの一つになるのかな〜
 
仮にですが、前々回の気の学校で話題になった「六神通の内の1〜5番」を、「内なる静けさ」よりも先に求めるとしたら、たぶんですが、殆どの人は、マインドの波が、それを求める以前よりも粗くなってしまうのではないかと思えます。
 
「そんなの、嘘だよ〜」と思う方は、無責任な話で恐縮ですが、試しに、やってみるのもいいのかな〜 と思います。
 
その際、自分自身の内側をよく観て頂くと、それらの事をやり始めると自らのマインドが発する「波」が粗くなってゆくことに、お気付きになられるのではないかと思えます。
 
でも、時には、
その事に気づけないで、更に更に、超能力や霊能力的な事を求め続けてしまいますと、挙げ句の果ては、おかしな方向へ流れ着いてしまう場合もございます。私の知る限り、けっこう、このような方、沢山、居ましたよ。
 
なので、やっぱり、初めから、そのような事を求めない方が賢明なのかな〜
先程の発言、取り消させて頂きますね。
お騒がせ致しました。
 
癒しクリエーションの方針は、
どこまで行っても、「ただ ただ 静かに」なることだけを求めて下さいね。人が真に幸せになる為に、摩訶不思議な能力等は、一切、要りませんから、求めない方が賢明ですよ。と、常々、御縁のある方々にはお伝えしている次第なのです。
 
しかし、「それでは、物足りないな〜 」という心の動き(想い)が起こってきて、つい、つい、その想いに乗ってしまうと・・・
 
行く末は、? 
果たして、どうなるんでしょうね。
うん〜〜
 
求めるとしたら、「ただ ただ 静かに」
これだけで、本当は、充分なのです!
 
この手の話、もう、何度も何度もしているみたいですが、この私の性格、だいぶ、しつこいみたいですよね。嫌われてしまうのも、なんなんで、もう、やめますが、でも、本当にリスクが高いということだけは知って欲しいですよ〜〜 本当に!
 
話は変わりますが、
以前、ご紹介したような気がするのですが、私自身がとっても気に入っている「詩」があります。
 

人のこころの深奥を
もっと、もっと、深くつき抜けて
更に、さらに行ってみなさい

そこには、喜びも、悲しみの流れもなく
一片の思考のさざ波さえもない

清謐(せいひつ)で時間なき空間
全体のなかの部分は
部分のなかの全体であって
ただ「一なるもの」

これこそ、叡智、慈愛、善性、神聖
そのものであることに気付くでしょう

 
何度、読んでも、意味深い内容ですよね〜
こんな心境になれたら、とても幸せですよね〜
憧れてはいますが、私の場合、まだ、まだ、先は遠そうです!
 
心(マインド)の波が静かになって、自らの内側に静けさが感じられるようになり、不幸せな出来事と波長が合わなくなってくるのであれば、それは、それは、とても、ありがたい事なのですが、実は、それ以外にも、もう1つ、素晴らしい結果が待っているのです。
 
もしかしたら、こちらの方が大切なのではないかと思えてしまうくらいなのですが、「真実を見定める眼」が育ってゆくのです。
 

「真実を見定める眼」が育ちますと、
  自分自身の心の動きが見えてくる
  本当の事が分かってくる
  本物とは何かを見極められる
  先入観や偏見から離れられる

 
具体的な例も挙げてみますね。
今現在、あなた自身が、何か、問題を抱えているとします。
いろいろ考えてみても、解決策が見つかりません。
まったく、解決する気配すら感じられません。
 
そんな時、「たた、ただ、静かに」を意識します。
心の波が静まると「真実を見定める眼」が立ち上がり、
その問題が何を意味しているのか、理解できるようになります。
もちろん、そこには「解決策」があります。
静かな状態でいるだけで、物事が改善されてゆきます。
こんな不思議な事が起こるんですよね!
  
なぜ、そのような不思議な事が起こるのかな〜?
 
心の波が沸き立っている状態を湖畔の水面に例えますと、
荒い波の時は、水面に何も映りませんが、水面の波が静まってにくると、
たとえば、こんな感じ。
水面に、月が、おぼろげながらですが映ってきました。
 

 
更に、もっと、もっと、波が静まり、水面が鏡のようになったら、
 

 
あ〜ら びっくり、凄いですよね〜〜 この風景!
お月様と富士山が、「湖面」に、ハッキリと映っています。
波立たないと、「湖面」が「鏡」のようになるんですね〜〜
 
マインドの波も静かになればなるほど、
本当の事(真実)が、自らの内側に存在する「鏡」にハッキリと映し出されてきます。
今まで、これこそが真実だ! と思っていた事が、実は、そうではなかったと!
マインドが静かになれば、自らが内側に存在する「粗い波」も消されます。


 
新年早々、現実味のない事を申し上げてしまいましたが、必要でない内容は是非とも聞き流して頂ければ幸いです。これに懲りずに、今年も宜しくお願い申し上げます。
この場にお越し頂きました皆様の益々のご健康とご発展をお祈りいたします。
 

2021元旦