NO.55 ゴミ出し

 
新年早々、すみません。突然ですが、このイラストですが何に見えるでしょうか? 
漏斗(じょうご)なんですよ。
 

 

 

 
エッ、漏斗って、何ですか?
 
そうですね。漏斗(じょうご)だなんて言われても、若い世代の人だとわかりませんよね。私は今現在でも時々利用しているので、日常品ですが、見たことない人だっていますよね。ならばご説明をさせて頂きますが。
 
仮にですよ。バケツの中の「水」を入口の小さなビンの中へ移すとしたら、どうなると思いますか? バケツを傾けて、水をビンへ流し込もうとしても、ビンの口が小さいので、ほとんどの水はビンには入らずに、外へ流れ出てしまうでしょうね。
 
それを可能にしてくれるのが「漏斗」なんです。植木に水やりをする「ジョウロ」とは違いますよ。上のイラストですが、その漏斗を使って、先日、農家の方から頂いた小豆(あずき)を一升ビンに入れる作業をしたのです。そうしたら、漏斗の先で、2粒の豆が詰まってしまったんです。
 
イラストを頼りに読者の皆さんの豊かな想像力を駆使して頂かないと、説明が下手なので理解に苦しむ内容となり、申し訳ない次第ですが、父、母、と2つの矢印がありますが、漏斗の先端部分のところで、二つの小豆(左の小豆が父、右の小豆が母)が引っかかって、流れが止まってしまった状態を示した図なのです。本来でしたら、漏斗に小豆を流し込めば、ザ~~~ と、下へ流れ落ちるのですが。
 
さて、本題になりますが、心の世界では、昔から、父母に対しての「恩」ということが問われます。いま、こうして、自分が在るということは、両親が産んでくれたから、そして、育ててくれたから・・・ なんて、よく言われますよね。産んでくれた両親、育ててくれた両親に対して、感謝の気持ちをもちなさい。ということなんでしょう。
 
でも、現実は、そう簡単にはゆきません。
 
憎しんだり、恨んだり、文句を言ったり。この世の中は、「本音」と「建て前」の二極の世界ですからね~~ だいいち、どこの親だって、そんなに立派なものばかり持ち合わせているわけではないし、文句の一つくらいはありますよね。
 
まあ、私なんぞ、自慢じゃないですが、親父さんが大の酒飲みだったので、随分と苦労しましたし、嫌な思いもしましたし、恨んでもいましたし、感謝の気持ちどころではなかったです。
 
ですが、ただ、はっきりと言えることとしては、たとえ、どんな親であっても、その親を恨んだり、憎んだりしている自分がいると、または、こだわりを持っている自分がいると、その分だけ、自分自身が損をするということは事実です。
 
いやですよね~~ まったく!
 
自分はけっして悪くないというのに、時には、一方的な被害者であるというのに、加害者である親に対してさえ、ネガティブな思いを持つと、自分自身が損をするとはねえ~? 世の中、どこか、間違っているんじゃないの? と、文句を言いたくなりますが。
 
先日、こちらへ内観に来られた方も、小さい頃から、一方的に、母親から、何かあるたびに、ぶん殴られたそうですよ。思い出すたびに、腹が立つと言っていました。
 
そうですよね。ありがたい事を沢山してくれた親にだったら、感謝の気持ちが自然に湧いてくるというものですが、仮に、あなたが、いつも、親から虐待を受けたとしたら、その親に対して、怨みこそあれ、感謝なんて、とても、とても、素直な気持ちで、できるわけがないでしょう!
 
でも、今まで、人様の悩みや苦しみと向かい合う仕事をしてきた私個人の経験からすると、お叱りを覚悟で申し上げちゃいますが、親に対するネガティブな気持ちが強い人ほど、抱えている問題が重く、一度トラブルに巻き込まれると改善しにくい傾向がある。という感じがしました。統計をとったわけではありませんが、なんとなく、そう感じます。
 
私なりに、仮説を立てましたので聞いてください。上記イラストの漏斗を思い出しながらイメージアップを努めて下さい。
 
天から雨が降ってくるように、我々は天(宇宙の源)から降り注いで来るエネルギー(光)を受けて暮らしています。
 
肉眼では見えませんが、どなた様も例外はなく、頭の上に、エネルギー(光)の受け皿であるアンテナ(漏斗)があり、天から降り注いできた宇宙エネルギーや情報をそのアンテナ(漏斗)を通じて集光し、自らに引き寄せる仕組みとなっているようです。
 
アンテナ(漏斗)がしっかりとしていて、エネルギーや情報が充分に注がれていれば、人は幸せでいられるでしょう。多少、あちこちが痛かったり、辛かったりしても、心は穏やかです。でも、イラストの漏斗のように途中に障害物があり、せっかくの流れが滞ってしまうと、たいへんなことが起こります。俗に言う、トラブルです。
 
実は、宇宙と我々個人個人とのパイプ役になっている存在が両親(両親を含めてご先祖さま)なのです。私をこの世に誕生させてくれたのは我が両親、その両親を誕生させてくれたのは、そのまた両親。つまり、私からすれば祖父母です。また、その祖父母を誕生させてくれたのは? ・・・ と、どんどん遡ってゆくと、最終的には人間を越えた存在、宇宙の源(中心)にたどり着くのなか~
 

私 ⇒ 父母 ⇒ 父母 ⇒ 父母 ⇒ 父母 ⇒ 宇宙の源

 
自分の一つ上の段には、父母という存在がありますが、その父母にたいして、多少なりともこだわり(素直の感謝できない気持ち)があるということは、それが滞りの原因となり、宇宙の源(天)から降りてきたエネルギーが自分自身の一つ手前の父母の処で止まってしまって、自分自身にまでは届きません。つまり、自分自身と宇宙と完全に繋がっている状態とは言えないことになってしまうのです。下記の例えを参考に。
 

宇宙の源 ⇒ 父母 ⇒ 父母 ⇒ 父母 ⇒ 父母 ×私

 
こんな感じになるのかな~
 
生かされている以上は、宇宙の源とまったく繋がっていない人などいませんから、誰でも多少なりとは繋がってはいますが、でも、繋がりの状態があまり良くありませんから、エネルギーの入りが悪く、気持ちが動揺しやすいようです。
 
如何なる両親であっても、その両親に対して感謝することができれば、それが、その人自身の幸運の土台となる。ということは理屈では分かったとしても、しかし、感謝できる。感謝できない。ということについては個人差がありますし、だいいち、今まで両親と、どのような関わり方をしてきたのか、過去の事実を変えることなんて、絶対にできませんよ。
 
・・・と言われてしまうと、あとは、成すすべもない。ということになってしまいますが、それを可能にしてくれるのが、癒しクリエーションのホームページで紹介しています記述式内観なのです。ご本人さまのやる気さえ、あれば、誰でも、確実に、両親の壁は突破することは可能です。いかなる両親であっても、必ず、一切のわだかまりを消すことは可能です。
 
先日、記述式内観を受けに来られた方は、小さい頃に、両親から過酷なまでの虐待を受けたそうですが、最初に記述式内観を始めた時は、思い出すと今でも心身がとても緊張し・・・ とおっしゃっていましたが、しかし、内観の作業が終わりに近づく頃には、その両親に対して、まったく、わだかまりもなく、今はとても、ありがたい気持ちで一杯だとおっしゃっていました。過去の事実を否定することなく、過去の事実を受け入れた上で、過去の出来事に対して、一切のわだかまりという気持ちを完全に消し去ったのです。嘘みたいな話ですね~~ でも、本当の話なんですよ。
 
また、イラストを見てください。(下記 図2)
 

 
 
何だと、思いますか? 今度は、我々の心を描いたイラストですよ。
 
一番、内側に小さな 円(黄色の部分)があり、その中に「光」と書いてありますが、これが「内なる光」です。いろいろな呼び方がありますが、内なる自分とか、聖なる自分とか、本当の自分とか、ハイヤーセルフとか、仏性とか、神性とか・・・まあ、呼び方なんて何でもいいですが、とにかく自分自身の心の奥深くには、「光の領域」があるということらしいです。
 
その次ぎの円(潜在意識)ですが、円の中に、たくさんのおまめさんが入っていますよね。いえ、いえ、実は豆(まめ)ではないのですよ。最初のイラストは小豆のおまめ。そして、今度のイラスト(図2)は、心のゴミの塊なんです。本日の内容は、頭の切り替えが必要な事ばかりで、申し訳ないです。
 
大阪城の石垣のように、びっしりとゴミが詰まっていて、地震が来ても崩れそうにもありません。この心のゴミが蓄積されている円の領域が、世間でいう潜在意識だと思っていただければ幸いです。
 
そして、一番外側の大きな 円(白色の部分)が、顕在意識です。あれは、良いことだ、あれは、悪いことだ。と判断したりする。通常、我々は、顕在意識をふる活動させて暮らしていますから、自分自身の心の中にゴミがあることなんて、気づきません。もちろん、その更に一歩先には、光の部分があることも。
 
ただし、ゴミの影響を受けているな~~ と感じることは可能です。というよりも、迷惑なことだよな~~ と思いつつも、日々、その影響を受けてしまっている。と言ってしまった方が良いのかもしれません。
 
この領域(潜在意識)にゴミが溜まっていると、ときには、それが体に現れたり(病気)、ときには、それが性格的なことに現れたり、ときには、それが精神的なことに現れたり、ときには、それが経済的なことに現れたり、・・・と、自分では望んでいない嫌な出来事がどんどん現象化されてゆきます。
 
顕在意識レベルからすると、私はそんなことを望んだ覚えはまったくない! ということでも、多くの場合、潜在意識レベルに、そのことが起きてしまう原因が存在しているようです。誰だって、自ら望んで病気になりたいとは思いませんし・・ でも、病気になるには、なるなりの何か原因みたいなものが潜在意識レベルにあることが多いようです。
 
「必要でないもの」のことを世間ではゴミと呼んでいますが、私たちは、その必要でないものを、たくさん、たくさん、自らの内に貯めてしまっているようです。たとえば、3才の時に、母親に叩かれたとします。すでに、20年も過ぎ去った今となっては、そんな過去のことなど、覚えている人も少ないでしょう。ほとんどの場合、忘れていますよね。
 
でも、そのとき、そのことによって、とても恐怖を感じたとしたら、ご本人さまの潜在意識レベルには、しっかりと刻まれているようですから、処理しない限りは忘れているだけのことで、20年の月日が経った今でも残っているということになるようです。このように考えてゆくと、大なり、小なり、誰でも、潜在意識レベルにネガティブな思いや感情を、つまり、心のゴミを溜めてしまうということになります。
 
我々、一般的には、先のイラストのように、ゴミが石垣状態にびっしりと詰まっていますから、にっちもさっちもゆきません。
 
ですが、下記イラスト(図3)に書いてあるように、黒く塗りつぶしたゴミを一つずつ、取り出したらどうでしょう?
 

 
 ある部分だけ、穴が空きますよね。これを現したのが、下のイラスト(図4)です。
 

 
潜在意識に穴が空き、顕在意識と、光の部分が繋がりました。このとき、何が起こると思いますか?不思議なことに、ただ、ただ、感謝の気持ちが起こようです。これ以上、私が書くと嘘っぽくなるので、匿名ですが、先日、内観を体験された方から、お便りを頂きましたので、そのまま、ご紹介します。
先日は 内観と 体の方もみていただき大変お世話になりました。なんだか、すごく報告したくなったのです  今 お風呂に入っていて 洗面器に湯を満たしたものに 手をいれて ぼんやりしていたら急になんだか 味わったことのない  安心感というか あたたかさみたいなものが、こみあげてきました  
 
内観の面接の時に、お腹の辺りに手を あてていただいていたときに近い感覚で正直あのときよりもさらに安定してました
 
宇宙を想い すべてつながっているんだ~みたいな ことが なんか わかるっていうか・・・  
言葉でうまくいえないのですが 身体で感じたというんですかね?  
同時に もう心が 躍るというか 感謝の気持ちが 自然にわいてきました  
言葉にすると なんだか伝えきれないですね  
 
今まで 表面的な感謝しか でてこなかったんですよ、私  
でも今回は心からの感謝というか わ~うれしい ありがとう ありがとうっていう うれしくてたまらない感じでした 。
 
というように、この方の場合には、内観にお越しいただいたとき、その場で、そのような心境になられたのでなく、自宅へお帰りになって、2~3日位してから、それを体験されたそうです。いずれにしても、素晴らしい話です。
 
個人差はありますが、記述式内観での作業をして、ゴミをかき分け、ゴミをかき分け、潜在意識レベルを深く深く掘り進んでゆくと、最終的には、どなた様でも、彼女のように、必ずや、自らの中心の光と出会えます。不思議なことに、一度でも中心(光)にまで掘り進んだ(たどり着いた)人は、今まで、大阪城の石垣のように堅く、堅く、固まって、まったく、緩む気配もなかったゴミの石垣が崩れ始めます。
 
満員電車のように、まったく、身動きもできない状態でしたが、一人でも電車から外へ出てくれれば、次の人が動くゆとりが生まれ・・・そうなると、次から次へと、順序良く、内側のゴミが自然に外へと出てまいります。その人自身に、自然に、浄化作用が始まるというわけです。
 
癒しクリエーションで主宰しています記述式内観の作業は、父、母に対して焦点を絞り、自らの中心(光)へ掘り進んでゆきますが、なぜ、父、母をターゲットにすると良いのか、少しはお分かり頂けたでしょうか。