NO.67 諸行無常

 
2011年 あけまして、おめでとうございます。
今年もよろしくお願い申し上げます。
 
以下の写真は、2011年1月1日(元旦)の初日の出(6時55分)です。千葉県の手賀沼(てがぬま)から撮影した朝日です。日差しを遮る雲もなく、素晴らしい青空でしたよ。朝日から来るパワーをたくさん浴びて、一年のスタートとなりました。
 

 
今年の元日は、全国的に天候に恵まれて。という感じでもなさそうですので、もし、まだ、お日様を拝んでいない人は、どうぞ、この写真を見ながら、朝日のパワーを充分に浴びて下さい。この写真からも、本物のお日様と同じように、朝日のエネルギーが放射されるようにプログラムしてあります。敏感な方ですと、「ワ~~ 本当だ! 朝日のパワーがやってくる~~!」と感じて頂けるものか思います。長らくご覧頂いていると、身体がぽかぽかしてくるかもしれませんよ~~
 
鈍感な方でしたら、いや、失言、誠に失礼、あまり、お感じになれない、という方でしたら、エネルギーがこの写真からも放射されているのだ。と信じた上で、ご覧頂ければ、御利益(?)は頂けるものかと思います.この写真は著作権等は関係ありませんから、好きなように、ご活用頂いて結構でございます。ホームページ用に加工していない写真のデーター(原盤)はこちら! です。気持ちが滅入ってしまった時などに、ご覧頂くと、いくらかでもお役に立てるかもと思っております。早速ですが、ある方(海外にお住まい)からお便りを頂きました。敏感な方なのかな~?
 
すてきなお年玉をいただきました。HPの初日の出の写真です。
さっそく、PCの壁紙にさせていただき、先ほどから、ぼーっと見ています。
本当に暖かさが伝わってくるようで、なかなかお日様を拝めない私にとっては、またとないプレゼントです。
どうもありがとうございます。
 
次の写真は、手賀沼の白鳥と私(小野賢一)です。手から「氣」のパワーを放射すると、近寄ってきました。朝日を浴び後だけに、「氣」のパワー充実の証ですかね~~ さすが、気功師!
 
え~~ ただ単に、餌をもらえると期待して、近寄ってきたのではないですかね~~?
 
そうね~ そう言われてみれば、そのような気もするな~ トホホ~~~
 

 
いずれにしても、年始早々、不思議な出会いでしたよ。あれほど、白鳥に近づいたのは、私の記憶の中では始めたかな~ 白鳥って、ずいぶん、でかいな~という気がしましたが、なんとも不思議な出会いでしたよ。
 
そうね~~ 不思議な出会いと言えば、気の学校のご愛読様も、そうですよね~~ なんの因果か分かりませんが、なんとなく、キーワードを入れて検索して、ブラリと立ち寄ったら、気の学校 ? という方、意外と多いのではないですか。我々、癒しクリエーションと、お付き合いを頂きまして、ありがとうございます。スタッフを代表して、この場をお借りして、心より御礼申し上げます。
 
さて、新年のご挨拶はこの位にして、そろそろ本題に移りたいと思いますが、私はブッタの大ファンなのです。でも、仏教徒ではありません。本気で、仏教(仏の教え)を極めるとなると、意外と大変なのであります。
 
まず、仏教には戒律というものがあり、たとえば、お酒なんぞ、飲んでいたのでは、仏教徒としては、超問題児なのであります。自分で言うのもなんですが、自分自身はアルコール依存症ではないと思っているのですが(笑)、もしも、お酒が飲めないとなると、生き甲斐の一つがなくなってしまうようで寂し人生となってしまうような感じがするな~~~ ということは、もしかして、依存症の気配ありですか?
 
ナント! 本日、この文章を書き上げて、午後からはスタッフと合流して、居酒屋で内観の打ち合わせなどを予定しているのであります。余談ですが、癒しクリエーションのスタッフは、皆、酒が強いのですよ。ある一人を除いて! もしかして、この私? うそ、うそ、ですよ。
 
ああ、そういえばですね。昨年一年間、癒しクリエーションのスタッフになりたいのだけれど、採用の条件は? というような就職の相談メールを何通も頂きました。特に、ホームページ上から、そのような募集内容を掲載している訳ではないのですが、不況で就職口がないので、癒しクリエーションにもお問い合せをされたのかな~ とも思ってみたり、もしかしたら、癒しクリエーションって、
 
 み りょ く 的 ?
 
いや~~ そんなことないよね! 
自分で言うと、照れちゃいますね!
ガッ ハッ ハッ ハ~~~~
 
メールを頂いた方々に対しては、ご返事をさせて頂きましたが、今後において、同じようなお問い合せを頂かなくても済むようにと、一応、この場をお借りして、お伝えさせて頂きますが、「今現在、癒しクリエーションでは、スタッフを募集しておりません。今後においても、その方針には変わりありませんので、ご理解の程、よろしくお願い申し上げます。」
 
私自身は社交的な性格なので人付き合いはとても好きなのではありますが、しかし、生まれつきの性格というか、集団行動は大の苦手というか、今までの人生は、一匹オオカミ的な行動が主流であり、チームワークで何かをするというような事はもともと不得意なのです。ただし、今のスタッフの方々とは、ある出会いの中で、なんとな~く、一緒に仕事をすることになってしまった。という感じなのです。これこそ、まさに、ご縁なのでしょうね。望んでいないのにもそうなったのですし。でも、一緒に仕事をやらせてもらっていることにはたいへん感謝していますよ。
 
余談が長くなりましたので、そろそろ本題へ。
 
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあわはす。
おごれる人も久しからず、ただ、春の世の夢のこどし。
たけき者もついには滅びぬ。ひとへに風の前の塵に同じ。
 
これは、有名な平家物語の最初の語りですね。
 
祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)とは、釈迦に帰依した須達(しゅだつ)という長者がブッタに献じたお寺の名前。
除夜の鐘ではありませんが、ボ~~~と、鐘の音が響き渡ったんでしょうね。
 
沙羅双樹(しゃらそうじゅ)はブッタが入滅したヒラニヤヴァティ河のほとりに双生したという沙羅の樹。ブッタがその樹の下で臨終を迎えたときに、その樹の花も葉も、ことごとく白色に変じてしまったようです。 栄えていたものは、必ず、衰退するということを言い表しているのでしょうか? さて、ブッタの思想をまとめてみると、諸行無常、これに尽きるでしょうね~~! 
 
 世の中のすべてのことは、無常である。
 
すごい内容ですよね~~ 
2500年前、ブッタが、この事を真に理解した者には解脱が訪れる。とおっしゃっていたそうですが、解脱とは、一切の苦しみから脱した状態のことを示すそうですよ。もう、苦しみがないということですかね? うらやましい限りですよね~~
 
誤解のないようにお伝えしますが、無「情」ではないですよ。無「常」ですよ。「だったら、この俺も解脱したいよ!」ということで、日々、NO28 気づきの瞑想等、さまざまなことを私自身も実践しておりますが・・・ 今現在のところ、心境としては、トホホ~の境地ですかね。
 
今更なんですが、気づきの瞑想って、凄いみたいですよ。 真剣にやっていると、諸行無常を体感できるそうです。本当かな?
 
エッ、何で、お腹の膨らみ、へこみをやっていると、世の中、すべてのことが無常であるとわかるのですか? そんな事をしなくても、一瞬、一瞬が変わりゆくものだっていうことくらいは、すでに知っていますよ。・・・と、ある時、ある方から、言われました。
 
そうですよね。確かに、その通りですよね~~
小学校を卒業したくらいの若者に聞いても、世の中のすべて事象は、一瞬、一瞬に変化していることくらい知っていますよ。と、言われそうですからね~~~
 
ただ、ここで問題なのは、無常ということを、頭で理解しているのと、心で理解しているのとでは、違うということらしいです。
 
以前、30台前半のある女性から、ある相談を受けました。 その方は、最近、自らの髪の毛の中から、白髪を発見したということでした。 ある時、鏡で自分自身の姿を見たら、フッと、白髪の存在に気づいたそうです。 ものすごく、ショックだったそうですよ。
 
自分では、まだ、まだ、若いと思っていたそうですが、その若いと思っていた自分の髪が白くなってしまった・・・ということで。 それ以来、白髪のことが気になって、気になって、夜もぐっすりと寝られなくなってしまったとか?  自分はいつまでも若い。と思っていただけに、ショックだったのでしょうかね~~
 
この方の心理状態を先程の諸行無常と照らし合わせて考えてみましょう。
 
私は10台の時も、そして、20台の時も若かった。 もちろん、30台になった今でも、その若さは変わらないと思っていた。
 
しかし、現実は、1日、1日、確実に年をとってゆき、その証が白髪となって現れた。 いつまでも変わらないと思っていた自分自身が、変化し続けていたんですね。 いつまでも、一定(常)の状態で、在り続けなかったわけです。 つまり、無常だったわけですね。
 
もし、彼女の心が、真に、諸行無常(すべてのことは常でない)というとを理解していたら、仮に、白髪を発見しても、ただ、事実だけを受け入れ、その後の心労までには至ることはないのかな~~?。 その彼女だって、もちろん、頭では、世の中は常に変化しているという事くらいは知っていたはずですしね~~
 
また、あるとき、いきな会社をリストラされたという人がやってきました。 今まで、25年以上も努めた会社を強制退職させられたそうです。 ショックというか、それ以来、うつ状態ということでした。 お姿からも、本当にお気の毒な感じが伝わってきました。
 
また、この方の心理状態を先程の諸行無常と照らし合わせて考えてみましょう。 もちろん、この方だって、頭では、世の中は常に変化している。
 
ズ~~と、ズ~~と、いつまでも同じ状態が続くわけがないだろう。ということくらいは、頭では理解していると思います。でも、いざ、目の前に、自分自身の一大事に関わることで、急な変化が起こると・・・ やっぱり、ショックを隠せなくなってしまうのですよ。
 
実は、これが心というものの実体なんだそうです。 申し上げにくい事なんですが、ブッタとは大違いで、我々凡人の心は、鈍っているそうなので、日々の変化に対して、その変化に気づいていないそうなのです。
 
逆に、私たちの心は、今、在ることが、これから先も、ズ~~と起こるであろうと、現れた現象を固定的なもととして、勘違いして捉えているという感じなのだそうです。 頭では、世の中のすべてのことが、一瞬、一瞬に変化しているという事は理解していても、しかし、心はそうでないようですよ~
 
もし仮に、心が完全に、世の中のすべてのことが、一瞬、一瞬に変化している。と完全に理解しているなると、仮に、リストラされても、心は動じることはないのかもしれません。 「ああ、そうですか? 今までは、今まででしたが、今日からは別なんですね。日々変化しているのですから、いいじゃないですか!」と、こんな感じになれるのかもしれません。でも現実は難しいですよね~
 
リストラされて、ショックだったという背景には、今まで25年、この状態が在り続けたのだから、これから先も同じ状態が続くだろう。という心理状態が働いていたのかもしれません。 頭(知識での理解)ではなくて、心自身が、すべてのものは無常である。ということを真に理解していなかったということになりますかね~
 
世の中は無常である。常に変化し続けている。といわれる状況を、心が素直に受け入れるということは、実は、難しいことみたいです。
 
仮にですよ。 あなたの寿命、残り3ヶ月ですよ。なんて、お医者さまから言われたら、どうですか?  それこそ、心が動転してしまいますよね。この私だったら、確実に、落ち込みますよ。トホホ~~ 
 
動転することが悪いということでもありませんし、動転しても当たり前のことなんですが、なぜ、心が動転するかということだけは、知っていて損はないのかな~ と思いますので。先を続けます。
 
心自身は、今まで、わたしは、このように今日まで毎日、無事に生きてきた。だから、この状態はこれから先も、ズ~~と続くはずだろうな~ と、どこかで、心自身は勝手にそう思っているのではないでしょうか?
 
もちろんですよ。「人間には、必ず、いつの日か、死がやってくる。それが、いつなのか、わからない。もし、それが明日に来ても、・・・」とは、頭では分かってはいてもですよ。でも、やっぱり、いざ、その時が近づいてきたら、心は動転しますよね~~
 
なぜ、このようなことが起こるのか? 
ブッタによると、その原因は・・・ なんとも言いにくいことではありますが、先にお詫び申し上げますが、失礼極まりないことを申し上げてすみません。
 
「心の鈍さ(無知/無明)」にあるということらしいです。
 
心が鈍くなっていると、一瞬、一瞬の変化に気づくことができない。 だから、すべての事象が、一瞬、一瞬、変化しているにも関わらず、いつまでも同じ状態が在り続けるようにと、心自体は錯覚してしまうようです。 これが、苦しみの原因だということらしいです。 その解決策として、気づきの瞑想の、お腹のへこみ、ふくらみを感じ続けるというトレーニングがあるとの事らしいですね。言い換えれば、心の錯覚を解く唯一の瞑想法でもあるようです。
 
息を吐きました。お腹がへこんでゆきます。 注意深く観察していると、へこんでゆく中に、一瞬、一瞬の変化があることに気づきます。 今度は息を吸い始めます。どんどん、お腹が膨らんできました。このふくらみ中にも、一瞬、一瞬に変化があることが分かります。
 
このような繰り返しの中で、いつの日か、心自体が、一瞬、一瞬が、まさに、変化しているんだ。つまり、無常なんだ。 常なるものなんて無いんだ! ということを把握できたら幸いです。そうなるまで、心にたたき込むというのが、この瞑想の特徴でもあります。
 
2500年前、ブッタという人は、一切のこの世の事象は、無常(一定でない)であるということを悟り(心自体がこの事実を受け入れた/あるがまま)、平安の境地に至ったそうです。
気づきの瞑想、へこみ、ふくらみ、興味ない人にはまったくつまらないお話しで・・・ということになりますが、深い意味があるようですね。この私も、また、明日から精進しますね。
 
エッ なんで、今日から・・・ではないのですか。
 
いや、いや、いや~ 先程も申し上げましたように、午後からは飲み会ですから・・・
 
では、良いお年をお迎え下さい。